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2013/09/12

コメント

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玉山

ユキモモさま
幕末から維新にかけての長州の方々のご活躍には、本当に頭が下がります。今の日本があるのも、そのおかげかと思います。貴重な情報ありがとうございました。

ユキモモ

新原敏三が負傷したのは、慶応2年7月28日、芸州口大野の戦いでした。私の曽祖父の弟も同じ御楯隊で、同じ日に負傷しております。
彼はその年の9月に亡くなりました。25歳でした。郷土を守ることはできましたが、まだ若い彼の心中を思い胸が痛みます。

玉山

wind of junさま
記事をご覧くださり、ありがとうございます。
また、新原家の祖先についてご教示くださり、ありがとうございます。
勉強になります。

wind of jun

こんにちは
新原敏三の先祖は江戸初期の山代一揆の首謀者11人庄屋の中の一人の子孫です。
それらの子孫は後、教育者、指導者などで活躍します。新原敏三もその一人です。
11人の庄屋は死罪に成っていますが毛利家では義挙と認めていたようです。山代代官所の横に立つ毛利家菩提寺に位牌が伝わっていますしそれらの家はその後も続いて幕末を迎えています。幕末期には、山代代官に吉田松陰に影響を与えた人たちが成っております。吉田松陰は義を重んじる人でした。

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