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祝・智証大師円珍関係文書典籍「世界の記憶」登録!

今年5月24日、UNESCOが「智証大師円珍関係文書典籍ー日本・中国の文化交流史ー」を「Memory of the World(世界の記憶)」に登録することを決定した。円珍は第5代天台座主で、三井寺を本山とする天台寺門宗の祖である。いったい、どのような高僧なのだろう。ゆかりの地を訪ねたのでレポートする。

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滋賀県で発行されている総合文化誌『湖国と文化』185号(R5.10)の特集は、「世界の記憶「円珍」~未来へのパスポート~」である。古代における日中交流をリアルに知ることができる貴重な資料である。中国にも残らない唐時代の「過所」という通行手形を、日中友好の未来へのパスポートに見立てているのだろう。

冊子の右は、善通寺市の龍川たちばな会製造の麦みそ「円珍手造りみそ」である。円珍少年が「美味っ」と舌なめずりしている。善通寺市といえば、空海の出生地として知られているが、円珍とどのような関係があるのか。

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善通寺市原田町に「智証大師降誕浴灌井」がある。

智証大師円珍が生まれたのがこの地である。詳しい説明板があるので読んでみよう。

円珍初湯之井縁由
智証大師円珍は、弘仁五年(八一四)讃岐国那珂郡金倉郷(当地)で生まれた。本姓は因支首、俗名を広雄といった。父は(和気)宅成、母は佐伯氏の出で、空海の姪にあたる。
母は円珍を身籠るにあたって、大洋を航行中、朝日の昇るのを仰ぎ見て光り輝く太陽をその手にしようとしたところ太陽が口中に飛来した夢をみている。この「日光感精伝説」は、彼の異相(重瞳尖頭)と相待って、その並並ならぬ非凡な人となりを証すものである。
当五条の泉は古来、彼に初湯を奉った。「閼伽井」として士人に伝承されてきたが、その護持については庄屋、真光氏をはじめ、地域の人々のなみなみならぬ努力を念うべきだろう。
明治五年(一八七三)の廃仏棄釈までは、ここに「仏名寺」が置かれ、園城寺末として代々重視された。その中興に際しても文政四年(一八二一)九月、仏像一躯が左の贈状と倶に別当 「寛慶」より届けられている。
(状)
囊祖智証大師尊像一躯
右者龍雲坊先徳慶祚大阿遮梨之彫刻也
従来雖本寺為所傅霊像今度就讃州仏名
寺祖堂再建之旨感其芳志遠贈之宣安置
之者弥祖道光栄国家安寧
文政四年五十巳九月
園城寺別当探題大阿遮梨僧正寛慶誌
因に本像は、現在木徳「玉泉院」本堂内に奉祀されている。本年は恰も円珍没年千百年のご遠忌にあたり地域有志と語って惹か閼伽井の緑由を述べ祖恩報謝の証とした州。
平成庚午十月
龍川地区円珍奉讃会誌之

閼伽井は仏前にお供えする水を汲む井戸のこと。ここでは一般的な表記としたが、説明板では阿、門構えに加、井と表されている。円珍の母が空海の姪だという。地縁、血縁で高僧がつながっている。円珍の母の日輪受胎伝説は秀吉と同様である。偉人には普通ではない話がつきものだ。

龍川地区はもと那珂郡龍川村。『倭名類聚鈔』巻第九讃岐国第百二十二「那珂郡」には、眞野(萬乃)・良野・子松(古萬都)・高篠(多加之乃)・櫛無(久之奈之)・垂水(多留美)・喜徳・郡家・柳原・金倉・智多の十一郷が記されている。龍川地区は金倉郷にある。

因支首(いなきのおびと)については、『日本三代実録』貞観八年(866)十月二十七日条に、次のような記述がある。

讃岐国那珂郡人因支首秋主。同姓道麻呂。宅主。多度郡人因支首純雄。同姓国益。巨足。男縄。文武。陶道等九人。賜姓和気公。其先武国凝別皇子(景行皇子)之苗裔也。

因支首という姓を和気に改めたという記事である。その先祖は武国凝別皇子(たけくにこりわけのみこ)というが、特段の事績は伝わっていない。円珍は貞観元年(859)に園城寺長吏、同十年(868)に天台座主となるから、同じ貞観年間の一族改姓と関連があるかもしれない。

江戸時代には円珍ゆかりの井戸を庄屋の真光氏が護持し、令和の今はJA香川県善通寺地域女性部龍川支部たちばな会のみなさんが円珍にちなんだ味噌を手作りしていらっしゃる。美味い味噌汁をいただいて、世界から注目される智証大師の事績を顕彰し、関係の資料と遺跡を護持した方々に心から感謝申し上げたい。


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