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2020/07/01

コメント

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玉山

お読みいただきましたこと、深く感謝申し上げます。
当時の宗教事情について丁寧にご教示いただき、大変勉強になりました。
今思う以上に宗教には重みがあったことがよく分かりました。

通りすがり

初めまして、南北朝関係の検索をしていてたどり着きました。おもしろい投稿が多く楽しく読ませてもらっています。
一点、気が付きましたので、おせっかいかもしれませんがコメントさせていただきます。徳川初期までの武家権力による宗教政策は「信教の自由を守るために、信教の自由を認めない宗派を弾圧する」という点でほぼ一貫しています。(神田千里先生の著作がこの辺りを詳しく解説しています。)
不受不施派も例外ではなく、信徒の備前松田氏らにより他宗弾圧が行われています。
松田元隆 文亀元年天台宗金山寺に法華宗改宗を命ずるも拒否され、金山寺を焼き払う。
松田元輝 永禄2年天台宗日應寺に法華宗への改宗を命じ、日應寺は改宗する。
永禄9年備前一宮吉備津彦神社へ改宗を薦めるも拒否、放火して全社殿を焼き払う。
花房氏や戸川氏もしばしば強権的な手法で領民の法華宗への改宗を迫ったようです。「妹尾千軒皆法華」も改宗しない者は退去させた結果として生じた諺です。
このように、不受布施派はカトリックと同じく「地域権力と結びついて他宗派の強制的な排除を行った」という点で、許容されうる一線を超えてしまった宗派なのです。

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