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寛政戊午重三禊飲于此

謎の芸術家バンクシーが器物損壊を問われないのは、価値を台無しにする落書きではなく、価値を付加するアートだからだという。分かったようで、どこか腑に落ちない心持ちだ。

しかし、似たような例は我が国にもある。美しい渓流で宴を開いた拙斎先生。興が乗ってきた先生は今日の記念にと、筆を手に取り、岩に何やら書き始めた。

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浅口市鴨方町小坂東の景勝、滑石渓流に「滑石(なめらいわ)の石文」がある。

水の流れが岩に涼しげな模様を描いている。向こうには滑石の滝、その下には滑石の石文があり、美しい自然に人文が興趣を添えている。石文の刻まれている岩に渡ろうとしたが、足を濡らさずには済まないようだ。何と書いてあるのか、説明板を読んでみよう。

滑石の石文
今の石文は、寛政十年(一七九八)三月、西山拙斎が子弟ハ人とこの地に清遊したおり、即席に題名をこの岩に墨書きした。その文を流れに消されるのを惜しんで同行の伊沢石介が書きとめていたものを、拙斎没後二十五年目に次子謹(復軒)に頼んでこの文を書き直し彫刻したものである。
それは「寛政戊午重三(三月三日)ここに禊飲(きついん)す。同遊の八人、随軒笛を吹き三蔵篳篥(ひちりき)にて之に和す。時巳に哺晩(ひぐれ)にしてついに山を下りる」と記されてあり、「是れ先子(亡父)拙斎先生の題名なり…」と復軒が添え書きしている。
ここから上流の阿部山には、平安時代の陰陽道の大家安倍清明伝説の碑や神社がある。
鴨方町教育委員会
鴨方町文化財保護委員会

禊飲は「けいいん」と読むのが正しい。みそぎという字があるが、結局は呑んでいるのだ。まあ、呑む理由など何でもよいだろう。勢いのついた先生は、何と岩に書き付けたのか。『浅口郡誌』(大正十四年)から引用しよう。

寛政戊午重三禊飲于此、同游者八人、随軒吹笛、三蔵篳篥和之、時已哺晩畢下山
是先子拙斎先生之題名、従遊者伊石介惜其暴漲洗去、窃写蔵之、戊午之先子易簀、年距今茲壬午廿五年矣、石介感想昔游、遂認所旧題之処乞余再題、余感其志不敢辞云
文政五年三月 西山謹拜識

そう知って写真を見ると、先生の詩は「寛政戊午重三禊飲于此同游者」「八人随軒吹笛三蔵篳篥和之」「時已哺晩畢下山」と三行で刻まれているのが確認できる。

これは先子(せんし=亡き父)拙斎先生の墨書である。従遊(じゅうゆう=同行)した伊沢石介は川の水が暴漲(ぼうちょう=急に増水)して洗い消されるのを惜しみ、ひそかに写し取って保管していた。寛政十年に先生の易簀(えきさく=逝去)。年を経て今、文政五年(1822)は、あれから二十五年になる。石介はかつてここに遊んだことを思い起こし、墨書のあった場所を見つけ、私に復刻するよう依頼があった。私はその志に感動し、申し出を断らなかったのは言うまでもない。

先生がやってしまった落書きは、こうして長く保存されることとなり、今に伝えられた。しかし銘のある岩は風雨だけでなく、時には水流にも曝される厳しい環境に置かれている。やがては読めなくなってしまい、人々が顧みることがなくなるかもしれない。

先生が表現したかったのは、自然の美しさと、その中で呑む楽しさと、奏でる心地よさという最高のひと時だったのではないか。後世の人々に長く記憶してもらいたいとは思っていなかったであろうが、せめて文字の判読できる間は、文人墨客の遊楽の事例として語り伝えることができたらと思う。

それはバンクシーとて同じこと。作品の高額取引やコレクションは望むところではないはずだ。今の状況にある人々の思いをカタチにし、共感を広げるために活動しているのだろう。要するに、質の高いものは落書きとは呼ばれないのである。


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