何事もそうだが一番最初であることは高く評価される。今で言えば商品開発。スマートフォンのように高度な技術を伴うものは別にしても、食べるラー油くらいなら考えつきそうなものだ。ブームを読むなどタイミングを計ることも大切なのだろう。なにせ、平和日本においてもビジネス界に天下太平はないのだから。これは、産経新聞社のSankeiBizに掲載されていた記事の冒頭である。
アルコール9月解禁、ビール業界が“20歳の遼”争奪戦で激突(2010.12.13 19:55)
プロゴルファー、石川遼選手(19)=パナソニック=を巡り、新たな争奪戦が勃発した。人気のハニカミ王子も来年9月に20歳となり大人の仲間入り。「飲酒解禁」となる来季に向け、ビールメーカー各社がイメージキャラクターに起用しようと、社運をかけた必死の先陣争いを繰り広げているというのだ。12日の国内ゴルフツアー3団体の対抗戦「日立3ツアーズ選手権」(千葉・キングフィールズGC)で今年の公式戦を終了した石川選手は「実りある1年」と振り返ったが、来年、実りの秋となるビールメーカーは?(夕刊フジ)
宇治市に「宇治川先陣之碑」がある。先陣争い発祥の地だというわけではないが、もっとも人口に膾炙した先陣争いである。
揮毫は日露戦争の旅順攻略戦で勇名を馳せた一戸兵衛で、明るい明治を体現する軍人の一人である。建碑は昭和6年、暗い昭和が始まろうとしていた。石材は宇治石という輝緑凝灰岩である。濃緑色が美しい。
時は寿永3年(1184)1月20日、木曽義仲の防衛線である宇治川を源義経軍が突破する。その折のエピソードが『平家物語』巻第九「宇治川先陣」に描かれている。〈引用元は岩波文庫版〉
…平等院の丑寅、橘の小島がさきより、武者二騎ひッかけひッかけ出できたり。一騎は梶原源太景季、一騎は佐々木四郎高綱也。人目には何とも見えざりけれども、内々は先に心をかけたりければ、梶原は佐々木に一段ばかりぞすゝんだる。佐々木四郎、「此河は西国一の大河ぞや。腹帯ののびて見えさうは、しめたまへ」と言われて、梶原さもあるらんとや思ひけん、左右のあぶみを踏みすかし、手綱を馬のゆがみに捨て、腹帯をといてぞしめたりける。そのまに佐々木はつッとはせ抜いて、河へざッとぞうち入れたる。梶原、たばかられぬとや思ひけん、やがてつゞいてうち入れたり。「いかに佐々木殿、高名せうどて不覚し給ふな。水の底には大づなあるらん」と言ひければ、佐々木太刀を抜き、馬の足にかゝりける大綱どもをばふつばふつとうちきりうちきり、いけずきといふ世一の馬には乗ッたりけり、宇治河はやしといへども、一文字にざッとわたいて、むかへの岸にうちあがる。梶原が乗ッたりけるするすみは、河なかよりのためがたにおしなされて、はるかのしもよりうちあげたり。佐々木、あぶみふンばり立ちあがり、大音声をあげて名のりけるは、「宇多天皇より九代の後胤、佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治河の先陣ぞや。われと思はん人々は、高綱にくめや」とてをめいてかく。
このような雰囲気かと想像してみた。
佐々木:よし、このいくさの先陣のてがらは、オレがとるぞ。いくぞ、いけずき!
梶 原:あっ、佐々木だ! あいつには、名馬いけずきをとられてしまったが、
今度ばかりは負けられない!【佐々木をわずかにおいこす…】
佐々木:梶原どの。
梶 原:!
佐々木:この川は西国一の大河でござる。馬の腹帯がゆるんでいては、あぶのう
ござるぞ。きちんとしめたほうがよろしいぞ。
梶 原:おお、かたじけない。【帯をしめなおす…】
佐々木:(今だ!)【梶原をおいぬかす】
梶 原:(おっ、いっぱいくわされたか…)やぁやぁ佐々木どの、てがらばかり気に
なさって、おもわぬ失敗をされぬように。川の底には、大綱がはってありま
すぞ。
佐々木:ふっ、なんのこれしき。綱など太刀で切ってくれるわ!【バフッバフッ】
いけずき、すすめ!
梶 原:くそっ、佐々木のやつめ…。負けるな、するすみ!
佐々木:【先に上陸して…】宇多天皇より九代の後胤、佐々木三郎秀義が四男、
佐々木四郎高綱、宇治川の先陣をつかまつった。われこそはと思わんもの
は、この高綱と勝負されよ!
佐々木の手法をどう見るかで評価は分かれるだろう。機転を利かしてうまく先手を打ったのか、悪知恵を働かせて出し抜いたのか。勝負にきれいごとだけは勝てないのは今も昔もなのだろう。
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