『曾我物語』が女性によって伝承されたのは、男たちの勇猛な戦いぶりではなく、夫や子ども、恋人を失う女たちの悲哀が主題になっているからだという。本ブログでは「雨となった虎の涙」で広島県内にある虎御前ゆかりの地を紹介し、「会者定離の前半生、信仰に生きた後半生。人生に見られる鮮やかな動と静が、聞く人の心を動かす」とまとめた。今回も同県内の曾我物語ゆかりの史跡をレポートする。
広島県世羅郡世羅町青近に「曽我兄弟の墓」がある。
二基の層塔と五輪塔や宝篋印塔がいくつかあるが、完形で残るものは少ない。説明板を読んでみよう。
毘沙門堂石塔群
毘沙門堂脇に立つ三層の層塔二基は、高さ一・八九mと一・六七mで、いずれも室町時代のものである。もとは五層か七層であったと思われる。層塔二基は、曽我兄弟の墓と言い伝えられている。
層塔は三層と五層があるが、積み直されたのだろうか。室町時代になって曾我兄弟の墓がつくられたのか、それとも、塔の建立からずいぶん後になって曾我兄弟の墓に擬せられたのか。享和三年(1803)に成立した『芸備風土記』のうち「備後風土記」巻之五「世羅郡」には、次のように記されている。
一、青近村に、曾我兄弟の墓とてありとぞ。
江戸時代後期には曾我兄弟の伝承が定着していたことが分かるが、具体的な物語はない。冒頭で触れた安芸高田市の虎御前の塚と関連付けられていれば面白いが、そんなこともない。
仇討と言えば「忠臣蔵」のイメージが強い。だが、それ以前は「曾我物語」であったに違いない。室町時代にアンケートしたなら曾我兄弟は、間違いなく日本史上のトップヒーローだったろう。同じくらいの層塔二基に相応しいのは、やはり二人組の英雄、曾我兄弟なのである。
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