「鎮西八郎為朝御宿」と書かれた護符を玄関先に掲げておくと、疱瘡除けやコロリ退治に効く。コロナでアマビエの護符が流行ったのと同じだろう。疱瘡神がやって来ても「おっ、ここには鎮西八郎がいるのか。なら、やめとこ」と退散するという。強さの象徴である。その為朝の居城があるというので行ってみた。
総社市槇谷(まきだに)に「鍋坂城跡」がある。写真は南の尾根筋を断つ堀切である。
曲輪が南北に連なり、しっかりした造りに感じる。木が茂ってほとんど眺望が利かないが、北端から平野部が見えた。
この谷に沿って岡山県道307号吉川槙谷線が吉備中央町吉川に通じている。吉備高原の中心として栄えた吉河荘は、周辺各勢力の草刈場となっていた。備中南部と中部を結ぶ要衝に位置する鍋坂城には、誰が拠っていたのだろうか。享保年間に成立した『古戦場備中府志』の巻之五「賀陽郡八郷」に、次のように記されている。
鍋坂城 槇谷村。
当城主鎮西八郎為朝。九州を靡し惣追捕使と称す。
日本第一健弓大弓大精兵なり。矢の根七寸五分の丸根と、保元物語にも記し侍る。袋井法師の琉球記云、鎮西八郎此処に来り、逆賊を怖さんがために鬼神(所の名也)より大石を取て飛礫をなすと有。為朝卿守本尊当邑に伝はりて、今に霊験あらたか也。彼卿の事跡南浦文集に委し。奉勅肥後国逆徒退治成功の後、東肥前に在住、即其地を屋敷原と称す。太平記大全には、九州田根といふ所より被召て、伊豆国に流され給ふとあり。
「七寸五分の丸根」は、『保元物語』巻之二「白河殿義朝夜討に寄せらるゝ事」に登場する。古今無双の弓取であった為朝に相応しい長くて大きな矢尻である。
「袋井法師の琉球記」は、袋中(たいちゅう)上人が慶長十年(1605)に完成させた『琉球神道記』のことである。原文は次のとおりだ。巻第五「波上権現事」より
鎮西ノ八郎為伴此国ニ来リ逆賊ヲ威(オド)シテ今鬼神ヨリ飛碟(ヒリャク)ヲナス。
『南浦文集』は、鉄砲伝来の史料「鉄炮記」で有名な禅僧、南浦文之の著作集である。為朝についても詳しく記されているという。
その次の一文は『陰徳太平記』からの引用であろう。原文はこうだ。巻之六十九「龍造寺系譜之事」より。
奉勅肥後国逆徒退治成功ノ後、東肥前ニ在住シ給フ。即其地ヲ屋形原ト称ス。
『太平記大全』は『太平記』の注釈本である。引用部は『平家物語』剣巻に、次のように記されている。
九州田根といふ所より召し出されて、伊豆国へ流されけり。
さすがは博覧強記の著者平川親忠、古今の書物から鎮西八郎為朝の情報を収集している。しかし、鍋坂城にまつわる話は何一つない。唯一「為朝卿守本尊当邑に伝はりて、今に霊験あらたか也。」のみが当地とのゆかりを示している。
これに対して、江戸後期の『備中誌』賀陽郡巻之七「槇谷村」は、『古戦場備中府志』の記述を批判し、次のように説いている。
為朝此地に居したると云事蓋偽説ならん。小寺氏古城記ニ云陰徳記五十四ニ鎮西菊王為忠と云者播州三木別所長治に与力して彼城に楯籠りし事見ゆ三木落城の後当国及び備後に来りしと見へて其末孫なりといふ者間々これ有且後月郡門田村に為朝墓と云物有是全く虚説也皆此菊王を誤り伝へしにハあらずや。
為朝がこの地にいたというのは、おそらく嘘だろう。『陰徳太平記』巻之五十四「羽柴秀吉奉西国退治附播州三木城之事」に、「鎮西菊王為忠」らが播州の別所長治に与力して三木城に籠城したことが記されている。三木落城後は備中や備後に来住し、その子孫という者が時々いる。井原市門田町には為朝の墓というものがある。これも誤りであって、すべて鎮西菊王為忠と取り違えているのではないか。
一見説得力がありそうだが、鎮西菊王為忠という人物がよく分からない。『陰徳太平記』はどこまで信用できるのか。為朝にしろ為忠にしろ、鍋坂城とのつながりは、どの文献にも記されていない。鍋坂城そのものは、『中国兵乱記』第二巻「尼子勢経山城主中島元行攻事并尼子勢敗軍之事」に次のように登場する。
幸山城代禰屋七郞兵衞、友野石見と鍋坂迄出張、尼子方押の為め数日対陣す。
元亀二年(1571)に尼子氏が毛利方中島元行の守る経山城を攻めてきた。これを受け、幸山城の禰屋七郎兵衛と友野石見が鍋坂城へ進出して、尼子軍と対峙した。戦いは最終的に、中島の奮戦で尼子方の敗北に終わる。
尼子方の軍勢鍋坂より湛井川へ雪積(なだれ)落ち死者数を不知。
めでたしめでたし、というわけだが、この『中国兵乱記』は中島元行自身が著したもので、誇張や記憶違いなど正確性を欠くきらいがある。元亀二年の尼子軍襲来も、どこまでが真実なのか。ただし、鍋坂城が軍勢の拠点となったことは記述から明らかであり、要衝の地として認識されていたことは間違いなかろう。
城主についてはよく分からないが、毛利方の部将が守備していたと考えればよいだろう。これを鎮西八郎為朝とする想像力の逞しさには感服仕るほかない。歴史の魅力が浪漫であるとするなら、これほど魅力的な山城はなかなか見当たらない。
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