遠くから見ると“にぎり飯”のように見える山、だから麦飯山(むぎいざん)という。(河井康夫『玉野の地名と由来』より)なるほど三角形をしているが、それほど美味しそうな姿ではない。それよりも、麦粒のように二つの山があるから麦飯山ではなかろうか。いずれにせよ、この山の魅力は山容ではなく、宇喜多と毛利が火花を散らした戦国ロマンにある。
麦飯山の麓、玉野市八浜町大崎に「辻の堂の五輪塔」がある。
これは、天正四年(1576)に麦飯山の戦いで戦死した明石源三郎の墓だといわれている。この戦いについて『岡山県大百科事典』の「麦飯山城」の項は次のように解説する。
弘治・永禄(1555~1570)ごろ、浦上家の重臣で常山城主明石景行の弟明石源三郎が在城していた。毛利輝元は常山合戦の翌年1576年(天正4)荘勝資に命じてこの城を攻撃させた。勝資は城主明石源三郎と一騎打ちをして源三郎を討ち取ったが、源三郎の家来に不意をつかれ討たれた。そして城は毛利氏のものとなり、武将穂田伊予守元晴が居城とした。
この説明の出典は橘生斎の『西国太平記』という寛文元年(1661)成立の軍記物である。巻之八「備前国児島合戦の事附庄勝資討死の事」には、次のように記されている。
同四年、小早川隆景、安国寺を大将として、備中・備後の守護を先魁とし、其勢二万余騎、児島麦飯山の城を攻む。城主は明石源三郎とぞ聞えし。浮田より、加勢三千騎籠る。毎日の鉄砲逼合あり。毛利方は、向城を本城の如く拵へて、兵糧山の如く、敵の兵糧の道を塞ぎたり。庄の兵部大輔・同右京進、堅を摧き強を破って働く。植木下総守秀資・同孫左衛門・津々加賀守・福井孫六左衛門、先手を承って、毎度競合あり。下総守深手負うて備中へ帰る。城より明石源三郎を大将として、一文字に斬って出で、円石を、大山の峰より転倒するが如し。隆景・安国寺之を見て、麾を振って人数を縦けたり。城方已に敗北する時、庄の兵部大輔、つと走り入りて、明石源三郎を衝伏せ、首を捕りて立揚る所を、又源三郎が手の者勝資を突伏せたり。同家老田中源四郎を、植木孫左衛門槍付け、首を獲たり。夫より城を乗取る。
ところが、享保6年(1721)刊行の馬場信意『中国太平記』では、年代が天正四年から三年へと変化して語られている。巻之第九「備前児島麦飯山落城附庄兵部大輔勝資討死事」を読んでみよう。
小早川大に悦び、天正三年九月二万余騎を引卒し、児島麦飯山に押寄て、攻動かさるゝ事霹靂砕け、天地震動して、世界奈落に沈むかと怪しまる。城将明石源三郎、宇喜多よりの加勢と共に、能く防ぎ守って戦ひけるが、敵を遠く退けんと、城戸を開き城を払って切て出、爰を詮と相戦ふ。
迫力のある表現だが、想像力の産物に他ならない。これを読んだ土肥経平は安永三年(1774)成立の軍記物『備前軍記』で、麦飯山の合戦について不審な点を次のように指摘している。巻第四「児島常山落城の事」を読んでみよう。
按に、児島麦飯山の城に、明石源三郎を宇喜多家より置きしを、天正三年毛利家より攻落し、源三郎討死すといふ事、中国太平記に見えたれども、其余此事を記せしものなし。此天正三年は上に記せしごとく常山落城の年にて、毛利と宇喜多と和平の時なれば、毛利家より宇喜多持の城を攻むる事あるべからず。又明石源三郎を後に飛騨といふ。則掃部が父なりと宇喜多記にも見えたり。此飛騨何れのとし死て掃部家督せし事はしらざれども飛騨が名は秀家卿の代迄も見えたれば、此時源三郎討死といふも誤まれり。かくのごとく麦飯山落城の一事不審多ければ、爰に載せず。
読者の気持ちを高揚させるのが軍記物の役割だが、作者の土肥は冷静な目で史料批判、時代考証を行っている。『西国太平記』は読んでいないのか、天正三年はそのまま受け入れているが、「毛利と宇喜多とは和平の時期であるから,毛利方が宇喜多方の持ち城を攻めるはずがない」との指摘は重要だ。これは天正四年であっても同じである。
明石源三郎は、『岡山県大百科事典』では宇喜多秀家の寵を得たキリシタン武将、明石掃部頭の祖父だとされている。ところが『備前軍記』は「明石源三郎は後に飛騨と改めたが、彼は明石掃部の父であると『宇喜多記』にみえる」とし、「源三郎討死というのは間違いだ」と指摘する。
二万余騎の毛利勢が攻め寄せるという大規模な合戦にもかかわらず、同時代の史料を欠いて信憑性は低いと言わざるを得ない。一次史料に麦飯山が登場するのは、天正十年(1582)になってのこと。宇喜多と毛利が激突した八浜合戦で、毛利方の穂田元清がここに陣を構えたのである。
写真は麦飯山の麓から常山を遠望している。天正三年の常山合戦で三村勢を駆逐した毛利氏は、常山に城番を置いていた。しばらくは毛利と宇喜多の蜜月だったから麦飯山の存在も問題にならなかったが、天正七年の決裂後は児島北岸の山々の争奪戦が活発になったことだろう。麦飯山の戦いはその記憶から生まれた幻影だったのかもしれない。
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