四国八十八箇所や七福神巡りは有名だが,「菅公聖蹟二十五拝」は知らなかった。菅公,すなわち菅原道真ゆかりの地に立つ25の神社への巡拝である。公の大宰府への配流に関係して京都から瀬戸内,九州に広がっている。
大阪市福島区福島二丁目に菅公聖蹟二十五拝第十二番「福島天満宮」が鎮座する。
神社発行の『福島天満宮略記』は,次のように説明する。
当時の淀川の本流―今の堂島川のほとりなる福島の地は,大阪湾より海路を目指す舟旅の風待ちの所。九州下向の失意の旅路の道真公一行を丁重に迎えた土地の徳次郎なる者の心からのもてなしに,甚く喜ばれた公は,謝するに術もなしと,折ふし里人の織り成した布に親らの御姿を描き与えられた。現在も此の御自画像が当社の御神体とされている。
徳次郎という名前が近世的な感じもするが,それはさておき,この徳次郎さん,現代人ももてなしている心優しい方なのだ。福島五丁目にあるホテル阪神では天然温泉が楽しめる。その名は「徳次郎の湯」である。命名の由来を同ホテルのウェブサイトから重複をおそれず引用しよう。
【源泉名】 徳次郎の湯
その昔、この地は瀬戸内海へ出帆するために風を待つ船着き場でした。
「学問の神様」として有名な菅原道真公も、大宰府への下向の折には、この地で風待ちのために滞在されました。
その際、この地の徳次郎という里人が、心温まるおもてなしで道真公の旅情を慰めまた。
道真公はそのことをいたく喜ばれ、そのお礼として、この地を「福島」と名付けたといわれています。
また、道真公は出帆のとき、布地に自分の姿を描いて残し、傍らの梅の木の一枝を折って、「行く水の 中の小島の 梅咲かば さぞ川浪も 香に匂うらむ」と詠み、松の一枝とあわせて土に刺したところ、これが一本の木になったと言い伝えられています。
その後、道真公が失意のうちに亡くなられたことを聞いたこの地の人々は、これを惜しむ気持ちをあらわそうと、この木の横に小祠を構えて道真公の画姿を祀ったのが、福島天満宮の創始であるとされています。
このような福島と菅原道真公との歴史的な深い結びつきや、傷心の道真公を慰めた里人徳次郎の名前に因むとともに、お客様に対して心温まるおもてなしを提供したいという気持ちを込めて、この温泉を「徳次郎の湯」と命名しました。
【泉 質】単純温泉(低張性-弱アルカリ性-低温泉)
【泉 温】31.5℃
菅公にまつわる伝説では,多くの場合,菅公に里人が助けられる。しかし,ここでは里人が菅公を助けている。心もお風呂も温かい。さらにもう一度,写真に注目。鳥居が新しい。阪神淡路大震災で折損した鳥居を一篤志家が復興したという。さすがは人情の町,大阪である。
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