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夭折の才媛ゆかりの井戸

元明天皇と元正天皇、お市の方と淀殿、遠く異朝をとぶらへばマリア・テレジアとマリー・アントワネット。すべて母と娘である。母が娘に与えた影響たるや大なり。才能も美貌も、そして生き方までも受け継いだかのようだ。本日は和歌の世界で誰もが知るあの母娘を採り上げよう。

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鳥取市鹿野町鹿野(しかのちょうしかの)の住吉神社の麓に「小式部内侍産湯の井戸」がある。

夏草に覆われているから、説明板がなければ見つからなかっただろう。そっと覗くと空が反射して見えた。千年以上の昔からここに水を湛えてきたのか。説明板を読んでみよう。

小式部内侍産湯の井戸
『大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立』の百人一首の歌で有名な小式部内侍は鹿野で生まれたと伝えられています。また、彼女の母は歌人として有名な和泉式部で、この和泉式部も鳥取(湖山)が 生地と伝えられています。
和泉式部は、お産のため因幡(鹿野)に帰り、鹿野町水谷の住吉神社の近くに家をかり安産を祈ったと言われています。そして、満願の日に、めでたく女の子が生まれました。この時、生まれたのが小式部内侍で、その時産湯に使ったのが、この井戸の水であったと言い伝えられています。
鹿野町教育委員会

小式部は宮中の歌会で、藤原定頼から「丹後へつかはしける人は参りにたりや」とからかわれた。丹後にいる母ちゃんの代作は届いたの?と厭味たっぷりに言われた小式部。去ろうとする定頼の袖をつかんで「天の橋立へは大江山(京都市西京区、亀岡市)、生野(福知山市)を通る遠い道のり(国道9号)です。行ったこともないし手紙さえまだなのですから。」と歌で返した。定頼は何も言えずに、つかまれた袖を引っ張り去っていったという。

親の七光りではなく、さすがに才女の子は才媛であった。この母娘がともに鳥取市内の出身というから、この地のレベルは高い。以前の記事「霞の里を求めて因幡へ」でお母さんの産湯の井戸を紹介した。そちらはコンクリートや敷石で整備されている。それに対して娘の産湯の井戸は、昔のままの姿を伝えているように見える。『因幡誌』第九郡郷之部(上)気田郡鹿野庄「小式部産湯之水」の項には、次のように記されている。

鹿野の東田の中に小丸山と云ふ一丘あり此山下に小式部産湯の水とて小き池ありしと是は昔和泉式部京都に在て某の胤を妊して当国に帰り由縁あって此里にて小式部を産み其身は又京に上りけるが小式部三歳の時京より使来て都へ連帰りけるが基産れける時彼の池水を産湯に用ゐける故伝て小式部産湯の水と云ふと按するに和泉式部は高草の湖山の産なり後都に上り一条院後上東門院の女房弁内侍たり後に和泉守橘道貞の妻と成て小式部内侍を生めり道直死して後丹波国藤原保昌に改嫁せりと当国は故郷なればさる事のあるまじきにあらず小山と号するは多分穿ち壊て山の形僅に残れり或は墓原となし其周囲皆田圃となりて池の迹と云ふ所も定かならす

なんと、産湯の井戸ではなく小さい池だった。しかも、池があった場所も分からないという。お母さんは湖山生まれだから、娘は鹿野生まれ。そんなことがないとも言えないだろう、という自信のなさ。では今、目の前にしている井戸は何なのか。西條静夫『和泉式部伝説とその古跡』中巻〈京都・山陰・九州編〉(近代文芸社)は、次のように推測している。

この通り現在は池ではなく井戸になっているが、おそらく寛政七年以後に、古地誌所収の伝説に拠って造られたものであろう。

寛政七年(1795)は『因幡誌』が成立したとされる年だ。まずお母さんゆかりの井戸の伝説が生じ、これに呼応するかのように娘ゆかりの池の伝説もできた。池はやがて消滅してしまったが、『因幡誌』を読んだ人が新たに井戸を造って語り伝えた。

ただ、この母娘の不幸は娘が先立ったことである。小式部内侍は万寿二年(1025)、出産に際して亡くなってしまった。それからしばらくして、和泉式部は次のような歌を残した。第五勅撰集『金葉和歌集』巻第十雑部に収められた一首である。

小式部内侍うせてのち上東門院より年ごろ給はりけるきぬを亡きあとにもつかはしけるに、小式部内侍とかきつけられたるを見てよめる
諸共に苔のしたには朽ちずしてうづもれぬ名をみるぞ悲しき

上東門院さま(藤原彰子)は、あの子が亡くなってからも私を気遣ってくださり、毎年のように衣(きぬ)を下賜されました。ある時、いただいた衣に「小式部内侍」と書いているのを見つけたのです。
なにもかも失われてしまいましたが名前だけは残るのですね。でも、よけいにあの子が思い出されて悲しくなります。

因幡に残された母娘ゆかりの井戸。荒唐無稽な伝説とすればそこまでだが、二人の生涯や伝説、ゆかりの地が生成した背景を楽しむのもまた一興であろう。実頼の袖を引っ張り、まっすぐに見つめた瞳。夭折の才媛を少しでも身近に感じたい。そんな思いが伝説地をつくったのである。


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