平家蟹とか人面魚にとどまらず、木の幹や葉にまで人の顔を認知してしまうのは、私たちの本能なのだろう。とすれば、森の中で動物を認知するのも同じかもしれない。獲物であれ危険動物であれ、生きるために素早く認知する必要があったはずだ。
福山市神辺町下御領と同町上御領の境に「狐岩」がある。
狐によく似た形の岩が一つあるのかと思っていたら、三位一体の奇岩であった。一つ一つは普通の岩だが、絶妙な配置で動物らしくなった。尻尾がなければ牛だろう。頭がなければ、ただの岩だろう。やはり頭部を認知しようとする私たちの本能が奇岩を生み出したのだ。
「狐岩」から少し北へ進むと「村堺岩」がある。下御領村と上御領村の境だろう。
北方の三反田池の東岸にも「堺」と刻まれた岩があり、明治8年の刻字と説明されているから、よく似ている村堺岩も同じ時期の刻字だろう。江戸期には入会地だったが、維新後になって村境を明確にしたようだ。
福山市神辺町上御領に「八丈岩」がある。
巨大な、あまりに巨大な岩である。削り出したような美しいフォルム。梯子がなかったら上れないだろう。御領の山にある散策ルートは、古墳と奇岩を巡り八丈岩をゴールとする。この岩に立つまでが散策です。
さすが八丈岩は古くから知られていたらしく、鳥山一郎編『福山案内』(鈴岡禎太郎、明治41年)には、次のように記されている。
八丈岩
国分寺の東半里上御領大平野山にあり全山奇岩怪石を以て覆はる其形状によりこれを挙ぐれば
八丈岩 東西五間二尺五寸 南北七間半 高二間半
出典は文化六年(1809)成立の福山藩の地誌『福山志料』巻第十四「邑里」四「安那郡」上御領村「山渓」石である。この他に、千人隠岩、階子岩、足形岩、紅岩、鬼の間岩、鳴岩、烏帽子岩、亀岩が紹介されているが、狐岩はない。当時は今と脳内イメージが異なり、キツネに見えなかったのだろう。
この地に限らず瀬戸内でよく見る花崗岩は、中生代白亜紀から古第三紀に固結し、長い時間の間に風化し奇岩怪石となったものだ。岩は奇怪と呼ばれて不本意だろうが、瞬時に顔や姿を認知する私たちの本能や見立てを楽しむ遊び心によって、御領の山はワンダーランドになったのである。
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