近年は「駅長」をネコやイヌ、あるいはウサギが務めるケースが増えてきたが、今でも大きな駅では人間の駅長がその重責を果たしている。駅といえば鉄道の駅であり、平成になって「道の駅」が登場した時には、どことなく違和感を覚えたものだ。
しかし、古代の幹線道路には駅があった。「うまや」と読んだほうがいいだろう。駅は本来、道路に附属する施設だったのである。そして、駅には駅長さんがいた。本日は駅長さんと菅原道真公のお話である。
明石市大蔵天神町の休天神社に「菅公踞石」がある。石碑には「曾在駅長宅址」とも刻まれている。休天神社は菅公聖蹟二十五拝の第十五番である。
神社の北側を古代山陽道が通過しており、この地には明石駅があった。昌泰四年(901)、大宰府へと向かう菅公一行は、明石駅長宅にある石に腰掛けて休んだ。このことは『大鏡』「左大臣時平」に、次のように記されている。
又播磨の国におはしましつきて、明石の駅(むまや)といふ所に御宿りせしめ給ひて、駅の長(をさ)のいみじう思へる気色(けしき)を御覧じて、作らしめ給へる詩いとかなし。
駅長無驚時変改 一栄一落是春秋
この詩は神社の看板にも記されている。左遷を嘆き悲しむ駅長に、菅公はこう諭したという。「時勢の変転を驚くでない。栄枯盛衰なんぞ、季節の移り変わりと同じではないか。」
看板の向こうに「菅公駐駕駅長宅址」の碑があり、その手前の石には何やら漢詩が刻まれているようだ。
漱歯幽人意 相看太可憐
これは『菅家文草』巻第五に収められた「古石」という詩の一節で、敦仁親王(後の醍醐天皇)の「去年即興で十首作ったんだから、今度は二十首作ってみてよ。」との仰せに応じて詠じた詩である。
詩碑は絶頂期へと向かう道真を象徴しているかのようだ。ところが実際にこの地に休んだのは、時勢が変わり改まり、左遷の道真である。まさに一栄一落是春秋。日本史屈指の名場面をここに見ることができる。
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