コロナ禍によってメジャーデビューしたアマビエ。おしゃれなお姉さんのような風貌で、厚生労働省によって「STOP感染拡大!COVID-19」のロゴとともに啓発アイコンに採用された。原画は京都大学附属図書館所蔵で、一度拝見したいと思っていたところ、三次もののけミュージアムで開かれた企画展「予言獣のチカラ アマビエとアマビコたち」でお目にかかることができた。またコロナ禍であった2022年のことである。
三次市三次町に「稲生武太夫(いのうぶだゆう)碑」がある。
境港には妖怪のイメージがあるが、これは水木しげるロードや鬼太郎列車など、いたるところに妖怪が跋扈しているからだろう。水木さんは境港育ちで、のんのんばあに影響を受けたのもこの町である。
では、三次に妖怪とはいかに。妖怪のことはもののけに聞けと、三次もののけミュージアムで調べてみると、三次を舞台にした『稲生物怪録』の存在が見えてきた。
この物語は広島藩士、稲生武太夫が子ども時代に経験したという怪異譚が元になっている。武太夫の父は三次藩に仕えており、武太夫こと平太郎は三次で生まれ育った。いったい何があったのだろうか。
稲生武太夫(一七三五~一八〇三)碑
三次藩士の子、幼名平太郎。
十六才の平太郎が、友人と肝試しに、真夜中の比熊山へ登ったところ、平太郎の屋敷へ毎晩のようにお化けが姿を変えて出て脅かしたが、平太郎はすこしもひるまず、さすがに三界の魔王も降参したという。武太夫は実在の武士で、この物語は多くの文学作品や絵巻物になって今日に伝えられ、日本の代表的な妖怪物語の一つとなっている。
三次市
この碑は昭和3年に稲生家の跡地に建てられたが、武太夫とは別の家系らしい。また、三次出身の陸軍中将・有田恕の撰文は、近代の講談の内容をもとにしているというが、判読できない。
『稲生物怪録』は諸本あって、絵巻物にもなっているそうだ。画像検索するだけでも奇怪な場面をたくさん見ることができる。もし、こんなお化けに本当に遭ったなら、腰を抜かしてトラウマになるだろう。
バケラッタのO次郎のような山容の比熊山の「もののけ登山道」を登れば、「たたり石」こと神籠石がある。稲生平太郎のいた三次はやはり、正真正銘もののけゆかりの地であった。
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