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200万年前の溶岩

今は地質年代で言えば新生代第四紀である。新生代は第三紀と第四紀から成るが、1989年以来、第三紀を古第三紀と新第三紀に分けている。さらに2009年、新第三紀と第四紀の境界が181万年前から258万年前に変更された。ジェラシアンという時代区分が、新第三紀鮮新世の終わりから第四紀更新世の初めに位置付けられたためである。

第四紀の今は、地球全体が寒冷化し、氷河の発達する氷期と暖かい間氷期を繰り返しているのだそうだ。今に続く時代が始まった頃、第三紀層を貫いてマグマが上昇し、火山が噴火した。その後マグマは冷え固まり、浸蝕に堪えて残丘となった。

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ドーム状とか釣り鐘状とか呼ばれる形状で、一般的にトロイデと呼ばれる。

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山腹には柱状節理が見られ、これは「西乃瀧」と名付けられている。

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登山道は新緑に包まれていた。

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頂上には二等三角点「荒戸山」がある。標高は761.75mである。

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展望台があるが、木々の豊かさに阻まれて眺望が利かなあい。新見市哲多町田淵に「荒戸山」があり、市の天然記念物に指定されている。

頂上の木製説明板は朽ちかけているが、次のように記されていたようだ。

荒戸山
人々から「鍋山」または「阿哲富士」として親しまれている荒戸山は、今からおよそ200万年前噴出したと考えられている火山で、玄武岩から成り立っており標高は761.9mあります。
荒戸山から南西を望むと釣鐘状の山々が眺められるがこれらはみな同時代のものでありトロイデ(鐘状火山)と呼ばれている玄武岩は冷えかたまるとき割れ目が生じ5角から6角の柱状の形をつくる荒戸山周辺にも玄武岩の転石が多くみられ周囲には樹齢150年のスギ並木や200年をこえるケヤキ、コナラ、等の混成した天然林がある又山麓の荒戸神社は、桃山時代の様式を伝える重要な建築物でこの地区の人々に崇拝されている。

200万年前に噴火したという。この頃、日本は現在とほぼ同じ姿になったらしいが、火山活動は今より激しかったに違いない。登山口にも説明板があるので、読んでおこう。

新見市指定天然記念物 昭和41年6月1日指定
荒戸山
昔から土地の人々の間では「鍋山」と呼び、標高761.9mで町内一の高さを誇り、地質時代新生代第3紀の初め(約200万年前)に噴出したと考えられている。この火山は、玄武岩から成っており、トロイデ(鐘状火山)といわれる。
荒戸山中復には、玄武岩の柱状節理が多く見られる。この柱状節理は、学術的に価値の高いものである。また、山中には推定樹齢150年以上の荒戸神社参道の杉並木や、200年を超えるケヤキ、コナラ、クヌギなどが混成する天然林がある。
荒戸神社
新見市教育委員会

旧哲多町時代に作られた説明板に上書きしている。もっと重要な訂正箇所は、噴火の年代「新生代第3紀の初め(約200万年前)」だろう。新生代第三紀は恐竜絶滅の頃、6600万年前に始まる。

哲多町は2005年に新見市に合併するから、説明板はジェラシアンが第四紀ではなく新第三紀だったころに作成されたはずだ。従って、正しく表現するなら「新生代新第三紀の終わり(約200万年前)」となろう。しかし、新第三紀と第四紀の境界変更があった現在なら「新生代第四紀の初め(約200万年前)」が最も正確だろう。

200万年前は人類がアフリカで活動を始めた頃である。彼らが石器を打ち欠いていた頃、我が国では火山が爆発していた。それから200万年の時を経て、最古の人類の末裔である私は、アフリカから遥か遠い日本で、冷え固まった溶岩の上に萌える新緑を愛でている。大きな時の中の今の一瞬。これを奇跡と呼ばずして何と表現すればよいだろうか。


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