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かつての王舎城はいま

「鹿野学園王舎城学舎」というから、てっきり仏教系の私立学校かと思ったら鳥取市立の義務教育学校だった。「王舎城」とは、古代マガダ国の首都ラージャグリハの漢訳名で、釈迦説話に登場する。由緒ある地名を校名に採用したのはなぜだろうか。

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鳥取市鹿野町市鹿野に「鹿野城跡」がある。美しすぎる堀と眺望の利く天守台跡が見どころだ。写真は夏なので緑だが、桜の季節には息をのむほど幻想的な景観を呈するのだそうだ。

天守台跡の標高は152mである。比高は100mくらいあるので、ちょっとした運動量になる。どのような城なのか、説明板を読んでみよう。

市指定文化財 史跡
鹿野城跡 天守台跡(しかのじょうせき てんしゅだいあと) 
所在地 鳥取市鹿野町鹿野
指定年月日 平成四年三月十八日
天正九年(一五八一)、羽柴秀吉から気多郡(けたごおり)を拝領(一万三千八百石)し、鹿野城主となった亀井武蔵守茲矩(かめいむさしのかみこれのり)は、慶長五年(一六○○)の関ヶ原の功によって高草郡(たかくさごおり)を加封され、三万八千石となりました(二代政矩〔まさのり〕のとき五千石を加え四万三千石となる)。茲矩は、新田開発・植林・治水・殖産興業・御朱印船貿易等、実に注目される治世を行いました。
鹿野城(王舎城)の大改修は、この頃(慶長六、七年から十二、三年まで)のようで、お城山の山頂(約一五○m)に天守を築いています。
現在の天守台跡を見ると一○m四方の礎石列の外側二mに七間(一四m)四方の外側線と、その基底部に根石が残っており、この七間四方の石垣の上に本瓦葺入母屋造(ほんがわらぶきいりもやづくり)の三層の建物がそびえていたと推定されています。
平成二十一年十一月 鳥取市教育委員会

古くから山城として攻防の地となっていたが、近世城郭として整備したのは亀井茲矩である。この城を「王舎城」と呼んだのも茲矩だそうだ。この武将の世界観はワールドワイドで、住民が住む区域を鹿野苑(ろくやおん)、鹿野に流れる川を抜堤河(ばったいがわ)と呼び、霊鷲山の別名である鷲峰山は今も使われている。城内の櫓にも「朝鮮櫓」「オランダ櫓」というのがあったそうだ。

異国趣味の茲矩が造った天守はどのような意匠だったのだろう。安土城のような斬新さだったら面白いが、手掛かりがないので分からない。城は鳥取藩領となってから破却され、どこかエキゾチックなイメージだけが残る幻の城となっている。王舎城。かつて釈迦が修行し説法したゆかりの名称のもと、いま子どもたちが意欲的に学び、先生が人生の指針を与えている。


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