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古墳に見る山陰と九州のつながり

現代人は新幹線での移動がイメージにあるから、山陰は遠い場所に思える。JRにはいくつかの陰陽連絡路線があるが、その一つ三江線は平成30年に廃止された。唯一気を吐いている伯備線の特急やくもでも、岡山米子間は2時間かかる。

新幹線も高速道路もなかった古代を、現代のイメージで理解してはならない。文物が山陽を経由して入ってくるという発想を変えなくてはならない。本日は九州とのつながりが見られる山陰の古墳のレポートをお届けする。

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倉吉市巌城(いわき)に「三明寺(さんみょうじ)古墳」がある。

玄門に立てられた2枚の平石が印象的だ。石材の表面は平らで、全体としてシュッとした感じだ。いつごろ造られたのだろうか。

国指定史跡 昭和六年十一月二十六日指定
向山(むこうやま)中腹に立地するこの古墳は、七世紀初めに造営された古墳時代後期の古墳。円墳(直径十八メートル、高さ六メートル)とされているが、方墳か多角形墳とも考えられる。
埋葬施設として山陰最大級の横穴式石室(全長八・三メートル)をもつ。石室の構築は、一枚の巨石を立てて奥壁とし、側壁は大きな石の上に切石をやや内傾させ、持ち送り的に積んでいる。遺体を安置する玄室(長さ三・七メートル、幅三・二メートル、高さ三・一メートル)には、奥壁に密着し入口に向かって開くコ字状の石組が存在する。この石組は、蓋がのっていたものと推定され、九州地方に分布する石屋形の構造に類する。三明寺古墳の造営主が九州とつながりをもっていたと考えることができるものである。
石室に切石を用材としている点などから福庭(ふくば)古墳(市内福庭)とともに倉吉地方において最も新しい時期のものと考えられる。
文部省 倉吉市教育委員会 平成十二年三月作成

さすがは終末期の古墳。石は高い技術で加工されている。興味深いのは「石屋形」のような構造があることだ。もっとも有名なのは山鹿市の国指定史跡チブサン古墳で、石屋形には印象的な装飾が施されている。

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三明寺古墳の石屋形は地味ながらも、いつの間にか「岩屋延命地蔵尊」の安置場所として大切にされている。写真左下には石屋形様の石材が写っている。九州とのつながりがあるというが、どのようなルートで伝播したのか。

試みに倉吉駅から新玉名駅まで路線検索してみよう。ヒットするのは岡山経由の経路ばかりだ。現代人は新幹線にとらわれ過ぎている。もっと近い経路があるではないか。山陰本線ではない。日本海航路である。

江戸時代の西廻り航路に限らず、山陰沖は常に重要な物流ルートであった。今も博多港と敦賀港を結んで近海郵船の定期貨物船「なのつ」が就航している。石屋形の古墳文化も日本海沿岸を進んだ船によって伝播したに違いない。

三明寺古墳の造営主は、なぜ九州とのつながりを求めたのか。広域連携によって大和の中央政権に対抗しようとしたのか。それとも、交易で九州の美味しいものを入手するうちに、お墓の文化も取り入れられたのだろうか。豚骨ラーメンにしろトルコライスにしろ、九州ならではのグルメは今も大人気だ。


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