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リユースされた横穴式石室

我が国には「もったいない」という美徳があり、古来さまざまなものをリユースしてきた。古墳だってそうだ。石棺の石材は板のように加工されて使いやすく、橋として小川に架けられたり仏さまに加工され信仰の対象となったりした。

豊橋市の大塚南古墳(国指定史跡:馬越長火塚古墳群)では、最近の発掘調査で横穴式石室が大きく破壊されていることが判明したが、これは吉田城石垣の石材採取のためではないかと推測されている。

使えるものは何でも使え。実に合理的な考えだ。本日は観音さまをお祀りするお堂となった横穴式石室を紹介しよう。

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鳥取県岩美郡岩美町大谷に「小畑(こばたけ)1号墳」がある。

「穴観音」として信仰されていたようだが、観音さまは現在、古墳手前のお堂で祀られている。少し山に入ると重厚な横穴式石室が現れる。説明板を読んでみよう。

小畑一号墳 横穴式石室(元 穴観音)
この古墳は、古墳時代後期(約一、三五〇年前)に築造されたもので、『因伯二国に於ける古墳の調査』(大正十三年刊鳥取県)で木山竹治氏によって広く紹介された。石室全長一一m二〇cm、玄室の高さは高いところでは三m五〇cmもある中高式天井の構築で、大きな切り石が使用されている。
玄室の周囲に三三体の石造観世音菩薩が祀られていたので、里人は「穴観音さん」と呼びならわしてきたが、その理由は、安永年間(一七七二~一七八一年)大谷平野の干拓が出来上がった頃、事業を監督指導した和田忠大夫および近在有志の手によって観音像が安置され、干拓事業成就の記念として崇められてきたことによる。
平成二年(一九九〇年)、石室崩壊の危険性が認められ、観音像を取り出して別に安置所を設けた。
危険なので、石室内には入らないでください。
平成三年三月 岩美町教育委員会

耐震に課題があったため、観音さまは石室を出て行かれた。だから「元」穴観音なのである。観音像は大谷平野の干拓が完成したことを記念して安置されたものだ。東側の田園地帯には大谷沢という潟湖があったが、鳥取藩士和田忠太夫の指導により干拓された。観音像の隣には干拓事業を手掛けた和田得中の顕彰碑もある。忠太夫からは先々代の当主だという。

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1号墳への入り口近く、国道178号沿いに「小畑3号墳」の移設された石室と石棺がある。もともと3号墳は駟馳山バイパスの工事区域にあった。説明板を読んでみよう。

小畑3号墳
この古墳は、一般国道9号改築工事(駟馳山(しちやま)バイパス)に伴って、岩美町大谷字小平野(こひらの)から発見されたもので、国土交通省の協力を得て、石室の一部を造られた当時に近い形で移築復元しました。
古墳時代後期後半(約1400年前)に造られた豪族(地域の有力者)のお墓で、全長12mの横穴式石室の内部には、組み合わせ式の家形石棺がおさめられていました。墳丘(盛土)の大部分が失われ、石室の天井石部分が転落した状態でしたが、周溝(古墳の周りを巡る溝)や周辺の古墳の形から、一辺27mの四角い形をした方墳であったと考えられます。
また、発掘調査時には、ガラス玉・管玉・耳環(じかん)などの装身具や馬具・鉄鏃・刀子(とうす)・土器などの副葬品が多数見つかっています。
岩美町教育委員会

特に注目したいのは美しい切り石の家形石棺である。「小畑3号墳の家形石棺」として町の保護文化財に指定されている。説明板も読んでみよう。

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小畑3号墳の家形石棺
3号墳の石棺は、厚さ18~20cm前後の底石3枚、短側石2枚、長側石2枚、蓋石2枚からなる組み合わせ式の家形石棺です。
発掘調査時には、盗掘により破壊され、石材が散乱した状態で出土しました。また、本来は2枚あるはずの長側石が1枚しか検出されておらず、盗掘によって持ち去られた可能性も考えられます。
このたびの整備で壊れた石材を修復し、失われた長側石については、擬石(ぎせき)を用いて石棺を組み立てました。石材鑑定の結果、この石棺は、岩美町荒金、あるいは国府町、福部町の凝灰岩を使用していたものと考えられます。凝灰岩の性質上、加工しやすい反面、非常にもろいため、修復時には石材強化と撥水のための薬剤処理を施しています。さらに石棺を保護するための覆屋を設置しました。
3号墳の石棺は、長さ2.5m、幅1.2m、高さ1.4mを測る大型の家形石棺で、2枚の蓋石には縄掛け突起と呼ばれる方形の突起が8個ついています。(1枚の蓋石に4個)また、この石棺の一つの特徴として側石と接合する底石の表面に1~2cm程度の溝が10条刻まれていました。この溝の用途として、石室内の水抜きのための溝であるとか、石棺を組み立てるときに使用された縄を抜き取るための溝などが考えられます。
小畑古墳群では5号墳と7号墳からも家形石棺が出土していますが、それぞれ異なった形態をしており、被葬者によって様々な石棺が使用されていたことがわかります。

この家形石棺については、一般国道9号線改築工事(馬四馳山バイパス)に係る埋蔵文化財発掘調査報告書『小畑古墳群』に重要な指摘がある。

底石と側石の関係は、側石が底石の上にあるものをA式、側石が底石の外側にあるものをB式とする。また長側石と短側石の関係では、長側石の内側に短側石がくるものをⅩ式、外側にくるものをY式とする。A・Y式は、畿内の組合式家形石棺の一特徴である。(和田晴吾「畿内の家形石棺」1976年『史林』第59巻第3号)

3号墳の家形石棺もA・Y式であり、被葬者が畿内とのつながりをもつ有力者であったことが想定できる。もうひとつ面白いのは「長側石が1枚しか検出されておらず、盗掘によって持ち去られた可能性」があることだ。橋にしたのか土留めにしたのか、何らかの用途でリユースされたのだろう。

人の墓を破壊するとは人道に悖る。とはいえ文化財としての価値を考慮しなければ、誰だか分からない大昔の墓だし、使えるものは有効利用すればよいように思える。石材は使えても、「鉄壁ガースー」と期待された割には首相が使えないとの声もある。東京オリンピック開催は間近となって大混乱の状況を呈している。森会長の後任に誰を据えるか。使える人材を発掘できるか。今こそ菅首相の手腕を発揮する時だろう。


2021/02/02

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