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巨大蜂の伝説と明治のパンデミック

人形峠はウランで有名だったが、真のレゾンデートルは今も昔も作州津山と伯州倉吉を結ぶ重要ルートであることだ。国道179号は快適な道で、ちょっと長めの人形トンネルを抜けると、鳥取県を滑るように下っていく。あたりが街になったら、そこは倉吉である。しかし、昔はそうでなかったし、人形峠は別の場所にあった。

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岡山県苫田郡鏡野町上齋原に「人形仙母子地蔵」がある。町指定史跡である。峠の向こうは鳥取県東伯郡三朝町木地山である。

国道179号で上齋原まで来たら、まっすぐ進まずに「森林公園」「人形仙」と表示されている方向に進もう。このルートがかつての倉吉往来である。T字路を左折し少し進むと、「人形仙」「母子地蔵」の標示があるので、そこからは歩いて県境に向かう。途中の分岐で左へ進めば人形仙、右に進むと母子地蔵に至る。説明板を読んでみよう。

人形仙母子地蔵
この道は旧倉吉街道(伯州往来)の美作と伯耆を結ぶ国境の人形峠で、この赤ちゃんを抱く形の「母子地蔵」は高さが一m二十五cmあり、江戸時代の文化五年(一八〇八)に造立され「子抱き地蔵」とも呼ばれている。地蔵の前にある水祭石(みずまつりいし)は明治一四年(一八八一)に米子の商人が奉納したものである。
この地蔵は、人形仙峠で赤ちゃんを連れた婦人が休んでいて、ふと目を覚ますと子供が人形にすりかわっており、女の人も子供をさがして迷い二人とも行方知れずになった伝説があり、これを供養して作られたものではないかと言われている。
上齋原の地蔵の中でも群を抜いて大型で雄美であり、また母子地蔵は珍しい。
鏡野町 上齋原地区地域づくり協議会

母親にとって子どもは、かけがえのない存在。深い山中で母子ともども遭難することもあっただろう。心の癒しとなる人形も、ここでは哀しみの象徴である。17世紀末成立の『作陽誌』西作誌上巻苫西郡山川部富庄「人形山」には、次のように記されている。

俗伝昔日此山有蜂王大可丈人過則出害之喜吮羶血於是行旅不往郡人大苦後有異僧教父老令作木偶人僧書字遍体立之路傍戒曰慎勿近出三日蜂必死言訖而去過期見之蜂果死乃並俑埋之因名人形山一說古山中有樵一日遇仙得人魚肉食之歴歳尸解故名人魚山

この辺りで語られているのは、次のような伝説である。むかし、この山に蜂の王がいて、大きさは人の丈を越えるくらいだった。行く人の生き血を吸うので、土地の者は大いに苦しんだ。しばらくして、他所から一人の僧がやって来て、人の姿の人形を作らせると、経文を体に書付け道端に立てた。僧は人々を戒めて「ここに決して近付いてはなりませんよ。三日もすれば蜂は必ず死ぬでしょう。」と言い、立ち去ってしまった。三日経って見に行くと、果たして蜂は死んでおり、死骸は人形と並べて埋められた。これにちなんで、人形山と名付けられたという。
一説には、むかし山中で木こりが仙人に出会い、人魚の肉をもらって食べてしまい、年月を経て仙人になった。ゆえに人魚山と名付けられたという。

人形なのか人魚なのか。漫画で描かれる昔話のようなメルヘンは、なぜ生まれたのか。母子地蔵が語る人形すり替え事件とは、どのような関係があるのだろう。伯美国境の山中に時空のゆがみがあって、異界との通路でもあるのだろうか。お地蔵さまはその山を見ている。

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1004mの「人形仙」が見える。国境を越える旅人もこの風景を眺めて一服したことだろう。とりわけ伯耆側から急坂に喘いできた人は、ここまでの無事に感謝して、地蔵に頭を垂れたに違いない。ここから城下町津山に向かい、さらに出雲街道で上方に歩を進めた人も多かった。ただし、都会とつながっていることの良し悪しは、今も昔も変わらない。

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鏡野町上齋原に「人形仙三十七人墓」がある。中心に「三十七霊供養塔」と刻まれている。

このような山中で何があったのか。大規模な遭難事故か。いや、そうではないようだ。説明板を読んでみよう。

鏡野町指定文化財(史跡)
人形仙三十七人墓
このあたりは、かつては津山から伯耆国倉吉を結ぶ街道沿いで、幕末から明治時代前半頃にかけて、人形仙国一山(にんぎょうせんくにいちやま)という鉄山(たたら製鉄)も操業されていました。
明治一二年(一八七九)、国内に発生したコレラは、七月に国一山鉄山にも及び、職人やその家族ら六十二人が感染し、三十七人が亡くなりました。
この供養塔は、この時の犠牲者を供養するため、鉄山経営者である津山境町の泉源助により建てられたものです。
鏡野町教育委員会

新型コロナウイルス感染症への対策に疲れ果てている昨今だが、かつて恐怖の感染症はコレラだった。コレラ菌の感染力は非常に強く、罹患すると下痢と嘔吐による脱水症状で死に至ることがある。

コレラが3類感染症であるのに対して、新型コロナは2類相当とされている。疲れ果てた私たちは5類に引き下げてほしいと願っているが、無料ワクチン接種は2類相当のおかげでもある。オミクロン株の市中感染は昨年12月22日の大阪が初めてだというが、その直前は今や信じ難いほど全国が平穏だった。それがどうだろう。あっという間に全国がオミクロン株で埋め尽くされた。

時を供養塔の舞台となった明治12年に戻すことにしよう。この年の3月14日、愛媛県内でコレラ患者が発生、4月に大分県に飛び火し、5月22日に岡山県の下津井に上陸したという。県の南端から北端まで、どのようなルートをたどったのか分からぬが、7月以降、人形仙ふもとの鉄山で37人の犠牲者が出ることとなる。結局このパンデミックに於いては、全国で16万2637人が罹患し、10万5786人が死亡した。その死亡率は65%に達するという大惨事だった。

むかしコレラ、いまコロナ。街道沿いに発生したコレラは、人が動くことで細菌やウイルスも共に移動することを示唆している。コロナも長い歴史の中で繰り返されている流行病の一つに過ぎないのだろう。とはいえ、サル痘だけは勘弁してください、という気持ちを正直に吐露しておこう。


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