古代日本史の人物で顔が思い浮かぶのは聖徳太子ぐらいなものだ。あのお姿がありがたく感じるのは、壱萬円札から生じた昭和の聖徳太子信仰によるものだろう。いっぽう卑弥呼はあまりにも有名だが、容貌についてはさっぱり分からない。和気清麻呂は見たことがあると思ったら、明治のお札「甲10円券」の肖像だった。原画を描いたお雇い外国人キヨッソーネは、元勲木戸孝允をモデルにしたという。では吉備真備はどうだろう。
岡山県小田郡矢掛町東三成の吉備真備公園に「吉備真備銅像」がある。公園は吉備大神宮に隣接して整備されている。
平成19年には国土交通省が主導する「日本の歴史公園100選」に選定されるという名誉を得た。実際には100以上あるものの、個人名を冠する公園はなかなかない。銅像制作の久保田俶通(くぼたよしみち)には優しい少女像が多いが、ここでは力強い偉人像である。
一般に支配者による権力基盤の構築には二つの方向性があり、C.E.メリアムの政治権力論によれば、クレデンダとミランダというそうだ。難解に感じるが、知性や理性などの合理性に訴えかけるクレデンダに対して、感動や崇拝などの非合理性に働きかけるミランダである。
真備は孝謙・称徳天皇の信任を得て、唐の制度や文化を導入し、政治の安定に努めた政治家である。地方豪族出身で右大臣にまで昇ったのは、彼の有能さを物語っている。これがクレデンダであろう。
銅像に目を向けよう。文官朝服姿の大きな真備像にはとても迫力を感じる。それに加えて像の周辺は美しく整備され、壮観さが演出されている。偉人を偉人たらしめるのは、偉人の立つ舞台装置と言って過言ではない。どこかの独裁国家のような政治手法だが、これがミランダであろう。
倉敷市真備町箭田のまきび公園に「吉備真備記念碑」がある。公園は昭和62年に吉備寺に隣接して整備された。その前年、中国西安市に真備公の記念碑が建立された。これを模して建立されたのが、真備町の記念碑である。線刻肖像の原画は、歴史画の泰斗小堀鞆音(こぼりともと)が描き、吉備寺に奉納した作品である。
西安に記念碑が建立された昭和61年は、胡耀邦総書記との間に築いた日中友好の蜜月時代であり、同年に行われた「外交に関する世論調査」において、中国に対する好感度は68.6%で、アメリカの67.5%を上回るほどであった。そもそも、まきび公園そのものが、若き日の真備が学んだ長安をイメージできるよう、中国風に仕上げられている。
ところが、令和4年の調査によれば中国に対する好感度は17.8%であり、蜜月関係など到底望めなくなっている。そういう意味では、西安と同型の真備公記念碑やそれが置かれた中国風の公園は、日中に蜜月時代があったことを示す証左であり、その由来を末永く語り伝えることに意義がある。
吉備真備を顕彰する二つの公園。一方は真備公その人の偉大さを演出しており、もう一方は日中友好の象徴であり、真備公が学んだ唐の政治・文化に対するリスペクトである。この特集では、矢掛と真備の双方で真備公ゆかりの地を訪ねる。乞うご期待。
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