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文豪が暮らした松江城の堀端

美しい街、殊に城下町の風情は堀川によるところが大きい。堀端の木々には街路樹にない優しさがある。木陰に立ち止まって流れがないかのような水面を見れば、次第に気持ちが潤ってくるのを感じる。同じ木陰でも街路樹の下で行き交う車の流れを見つめたなら、人から心配されるだろう。

高畑勲監督のドキュメンタリー作品に『柳川掘割物語』がある。九州の柳川市は川下りで有名だが、これは昔から変わらぬ美観ではなかった。高度成長期に荒廃した掘割を官民一体となって再生させたのである。近江八幡市の美しい八幡堀も同じような努力の成果だ。そして、本日紹介する松江市の堀川も水質浄化と植栽によって景観形成が行われた。

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松江市内中原町に「文豪記念碑」がある。

松江で文豪と言えば小泉八雲のイメージが強いが、それだけではないらしい。そこが小京都・松江の奥深さなのである。碑文には次のように記されている。

大正のはじめ、世界的な文豪として知られる、志賀直哉芥川龍之介が、相次いで松江を訪れ、ここ内中原の堀川沿いに暮らしていました。
ここから数十メートル南にある堀端の住まいでの暮らしについて、志賀は「壕端(ほりはし)の住まい」の中で克明に記しています。
翌年松江を訪れ、同じ堀端の家に居を構えた芥川は、「松江印象記」の中で、水の都松江の様子と、内中原町での暮らしぶりを、郷愁をもって描写しています。
この二人の文豪が、松江・内中原町での、水と緑に囲まれた暮らしの中で養った英気は、後に名作を創る際にも、欠かせない糧となったことでしょう。

これには驚いた。あの文豪が松江で暮らしていたとは。時期は異なるが同じ家である。まずは志賀直哉から読んでみよう。

「ひと夏、山陰松江に暮らしたことがある。町はずれの壕に臨んだささやかな家で、独り住まいには申し分なかった。庭から石段で直ぐ壕になっている。対岸は城の裏の森で、大きな木が幹を傾け、水の上に低く枝を延ばしている。水は浅く、真菰(まこも)が生え、寂(さ)びた具合、壕というより古い池の趣があった。」
志賀直哉[壕端の住まい]より抜枠

志賀直哉が松江で暮らしたのは、同三年五月から約百日のことである。それは電車事故後の養生で城崎温泉に滞在した翌年に当たる。父親とは深刻な対立があった。伯耆大山に登ったのも、松江滞在時のことだ。志賀が登ったのは、現在よく利用されている夏山登山道ではなく、桝水公園から登る正面登山道だった。この経験が『暗夜行路』に生かされたのは有名だが、読んだことはない。

「松江はほとんど、海を除いて『あらゆる水』をもっている。椿が濃い紅の実をつづる下に暗くよどんでいる壕の水から、灘門の外に動くともなく動いてゆく柳の葉のように青い川の水になって、滑らかなガラス板のような光沢のある生きているような湖水の水に変わるまで、水は松江を縦横に貫流して、その光と影との限りない調和を示しながら、随所に空と家をその間に飛び交うつばめの影とを映して、絶えず懶(ものう)い呟(つぶや)きを、ここに住む人間に伝えつつあるのである。」
芥川龍之介[松江印象記]より抜枠

芥川龍之介が松江に滞在したのは、大正四年八月のこと。親友である恒藤恭(旧姓井川、後に法哲学者)のふるさとに来遊したのである。失恋の傷を癒すためだったという。松江の第一印象を次のように記している。

松江へ来て、まず自分の心をひいたものは、この市を縦横に貫いている川の水とその川の上に架けられた多くの木造の橋とであった。

「水」と「橋」とが織りなす情緒、古くから日本人が大切にしてきた美観である。芥川の美意識が次に向かったのは何か。

橋梁に次いで、自分の心をとらえたものは千鳥城の天主閣であった。天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物であるが、自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほとんど何人(なんぴと)もこれに対してエキゾティックな興味を感じえないまでに、その屋根と壁とをことごとく日本化し去ったのである。

芥川の記す天守閣の起源が妥当かどうかは措いておこう。要は、西洋起源でありながら、今や我が国の代表的建造物であるかのように日本化されている、というのだ。松江城の天守閣を見上げながら、その美しさにしみじみと感じ入ったのだろう。幸いなことに同じ天守を私たちも見ることができる。

松江城内で芥川が見たもう一つの建物に「興雲閣」がある。県指定文化財の擬洋風建築で、その美しさを私たちは「レトロ」と呼んで郷愁に浸っているが、芥川は次のように切って捨てている。

不幸にして自分は城山の公園に建てられた光栄ある興雲閣に対しては索莫たる嫌悪の情以外になにものも感ずることはできない

good old daysを想起する明治建築に日本らしい情緒を感じる私たちに対し、同時代人の芥川はとってつけたかのような印象しか感じられなかったのだろう。美意識は時代の産物でもある。

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堀川を遊覧船がゆく。色づく秋を満喫する観光客。このような舟遊びが昔からあったわけではない。それでも私たちは、その風景に日本的な何かを感じる。秋の装いをまとう木々たち、静かに消えてゆく船の軌跡、変化するものを大切にしてきた日本人の美意識が向けられている。


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