1月25日は「菅公学生服の日」である。今年1月に発表された。日本記念日協会に登録されているからエビデンスは確かだ。「菅公」は菅原道真公、彼がなぜ学生服と関係するのか。
学生服をはじめスクールウェアでトップクラスのシェアを誇る尾崎商事の代表的ブランドは「カンコー学生服」である。昭和3年から続く伝統のブランドである。
この「カンコー」が「菅公」、太宰府左遷の途中に、尾崎商事の創業の地である倉敷市児島地区にも立ち寄っているという。学生服だから学問の神様にもあやかっている。そして、1月25日は菅公が住み慣れた京を離れた日であった。今は初天神の日として天満宮などは賑わいを見せる。
そして今日、8月1日、尾崎商事は社名を「菅公学生服」と変更した。
姫路市大塩町の天満神社に「菅神腰掛石」があり、この神社の御神体とされている。
小さな神社だが由緒がありそうだ。姫路市教育委員会が設置した説明板を読んでみよう。
日笠天満宮、岩神社と呼ばれ、菅公(菅原道真)がここで腰を掛けたという岩が御神体であり、江戸時代の『播磨鑑』や「大塩村寺社明細帳」等に菅神腰掛石とか天神腰掛岩と記されている。(中略)ここは文化元年(一八〇四)版『播磨名所巡覧図会』に「絶景」と記す「檜笠山(日笠山)」の登り口であり、山麓の大塩から曽根のほとりの「檜笠浦(日笠浦)」と「大鹽(大塩)」を名所とする。(後略)
絶景の日笠山は今も健在である。この日は曇って写真に迫力がないが、見晴らしの良い場所である。大塩と曽根の間を流れる天川の河口が見える。
日笠山の山頂には、このような巨岩がある。
『高砂市史曽根篇』には次のように記されている。
曽根町の桧笠山の北方の最頂、字北山に巨大な岩がある。人呼んで夫婦岩と云っている。伝説にその昔菅原公左遷の折、九州への途次この地に立ち寄られ、この夫婦岩から四方の景色を眺められ「吾に罪なくば栄えよ」といって、手安づから小松を植えられたのが、曽根の松だとのいいつたえがある。
この神社から日笠山とその東を流れる天川をはさんで曽根天満宮がある。ここにあった霊松「曽根の松」は、伊保港に船を寄せた菅原道真が日笠山に登り、山上の小松を移植したものだという。
伊保港から大塩の天満神社、日笠山、そして曽根天満宮。菅原道真の歩んだルートは距離と高低差がずいぶんとある。それを史実かどうかを問うのは意味がない。距離と高低差があるというのは、学問の道のことだからだ。日笠山の登り道はかなり息が上がった。