耳塚は日朝関係史において最大の悲劇であった。特に朝鮮半島の人々にとっては、耳や鼻をそぎ落とすという残虐性が、強い印象として記憶されることとなった。現代でも日韓関係が悪化すると、韓国では耳塚が話題となり、「強い国であらねば」と抗日感情が高まるようだ。臥薪嘗胆の故事における薪や胆のように、耳塚は苦痛を与えて記憶を呼び覚ます役割があるかに感じる。
このブログでも「耳塚の悲劇」で、有名な京都の耳塚(鼻塚)を紹介した。そこにも記したのだが、誤解があってはならないのでもう一度強調しておこう。これは日本の武威を誇示する記念碑ではなく、犠牲者を弔う供養塔である。本来は日韓(日朝)和解の場であらねばならないのだ。
同じような塚が備前にもあるというので訪ねてみよう。
備前市香登本と大内の境のあたりに「鼻塚跡」がある。手入れが行き届いており、大切にされていることが分かる。
京都の耳塚は豊国神社の前にあるから、豊臣秀吉との関連が分かりやすいが、備前にある鼻塚はなぜここにあるのだろうか。写真左の石碑には「鼻塚跡」とあり、その裏面に次のように刻まれている。
この地に祀られていた塚は、文禄元年(一五九二)に豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵の際、首級の代りに持ち帰った鼻を葬ったもので、鼻塚といわれています。
当時、宇喜多秀家の家老長船紀伊守の旗持ちとして従軍した香登西の六介は、命によって持ち帰った鼻ではあるが、祖国に殉じた人達に深く思いをはせ、塚(祠)を造って冥福を祈ったということです。なお、六介は従軍中現地の人から良膏の仕法を教わって日本に広め、その元祖になっています。香登村では、その後「千人鼻塚」と言い伝えられ、地元で手厚く祀ってきましたが、祠が荒廃したため昭和五十七年四月に有志六百三十余名の協力を得て再建されました。
その後、このことが韓国に伝わり、殉国者を韓国で慰霊したいとの要請があって、平成四年(一九九二)十一月これを執行し、翌年十一月に全羅北道扶安郡上西面の地に慰霊碑が建設されました。
このたび、両国有志の要望もあって、このことを永く後世に伝え、同時に国際親善を祈念して、記念碑を建立しました。
平成八年四月吉日 鼻塚跡記念碑建設委員会
六介は持ち帰った敵の鼻を葬り、塚を造って冥福を祈ったという。平成の代となって古い祠が改修され、現在のように整備された。いっぽう韓国では、全羅北道扶安郡上西面にある「胡伐峙」という戦跡に、備前市の鼻塚の土が移送、安置された。胡伐峙は1597年の丁酉倭乱、つまり慶長の役で、朝鮮義兵3千人が激しい戦闘を行って全滅した場所だという。「丁酉再乱胡伐峙戦跡地」という名称で全羅北道記念物に指定されている。ここは日韓の国際親善、和解の場の一つとなっているのだ。
また、六介が「従軍中現地の人から良膏の仕法を教わって日本に広め」たことにも注目したい。江戸中期に成立した『備楊国誌』には和気郡の産業として、次のように記されている。
六介膏 香登西村にて是を製す。
これは「ろくすけこう」かと思えば、藩主の池田綱政は「りっかいこう」と読ませたそうだ。「香登村に六介膏薬(ろくすけこうやく)というのがあるが、どうも唱えが悪い」殿様はそう感じたようだ。岡山藩の地誌『撮要録(さつようろく)』記載のエピソードが『和気郡史』通史編中巻3で紹介されている。確かに「りっかいこう」のほうが、朝鮮伝来の秘薬にふさわしい語感だ。
一衣帯水の両国の友好を語りたいのだが、いま日韓関係はこじれた徴用工問題により最悪状態で、世論調査によれば双方の7割以上が相手を「信頼しない」と答えている。文大統領はG20で来日するが、国会議員から「首脳会談をする必要がない」などと訳の分からぬ主張さえ飛び出している。北朝鮮には「無条件で会談したい」と言っても相手にされず、韓国には会おうという積極性が微塵もない。
文禄・慶長の役は、誠に不幸で不毛な戦いであった。この「鼻塚跡」の記事によって改めて犠牲者を慰霊するとともに、秘薬の製法伝来が殿様の目に留まる特産品につながったことに感謝し、両国の紐帯がいっそう深まることを祈念するものである。
bananaさま
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、過去と現代とを同一視すると、必ずしもいい話にはなりませんね。
投稿情報: 玉山 | 2021/11/09 23:04
1965年と耳塚の時代背景はあまりにも違う 遡りすぎるとどんどん拗れていくだろう 今日本が対馬侵攻を言い出せばまた反発がある
だからあまりにも現代と時代背景が違うことについて言い合うべきではない
投稿情報: banana | 2021/11/09 17:15
kuwamanさま
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
信頼は対話によってのみ構築されると思います。政治家の方々には非難ではなく、対話の呼びかけをしてもらいたいものです。
投稿情報: 玉山 | 2021/10/28 21:02
この国の外交政策には呆れます。かつて侵略しつくした朝鮮、韓国と真の和解を為すためには、どこまでも誠実に話し合いを重ねるべきを「有償無償5億ドルで解決済み」それを否定する要求には一切応じられないとの姿勢です。
1965年の条約締結時は軍事政権で、戒厳令をしいて締結反対運動を制圧しての強行採決、批准でした。そして年月を降ることで様々な未解決問題が浮上してきたわけですし、韓国は民主化して大きく変化してきているわけで、それでも「解決済み」といって突っぱねる姿勢は未来の友好にもつながりません。
この耳鼻塚のような死者への真摯な思いが日本の政権政治家にないことがますます不毛な日韓関係をつくっていると思います。
投稿情報: kuwaman | 2021/10/28 10:32