平成6年だったと思う。私は広島県北の町々に車を走らせていた。役場を巡って観光パンフレットをもらうためである。甲奴(こうぬ)町役場を訪れた時のこと。職員の方がたくさんの封筒を並べて忙しそうにしていた。なんだ?と思って見ていると、「カーター元大統領が来られるんですよ」と言う。カーター!?あのアメリカの?
その時はそれ以上考えなかったが、実はこの年に町を代表する施設、ジミー・カーターシビックセンターが完成しており、そのお祝いの式典に元大統領夫妻が来られたのである。それは今調べると、平成6年7月7日(木)であった。私が役場を訪れたのは、その数日前だったのではないか。
現在のバイデンさんは高齢だが、比較的若いうちに大統領の座から降りたカーターさんは、精力的に平和活動を行っていた。昭和59年には米大統領経験者として初めて被爆地広島を訪れ、平成2年10月21日(日)には甲奴町を訪問した。
三次市甲奴町本郷に「カーター通り」がある。元大統領が道行く人に微笑みかけている。
高知龍馬空港とか宮本武蔵駅とか、地元の偉人を称える為に施設に名を冠することはよくある。米国ジョージア州出身のカーター元大統領と広島県の甲奴町とは、どのようなゆかりがあるのだろうか。
三次市甲奴町小童にある正願寺(曹洞宗)の梵鐘がアメリカ国内にあることが分かった。昭和17年に呉海軍工廠に金属供出されたものの終戦まで残り、その後おそらくは戦利品として英国へと渡り、次に米国へと移されたらしい。
1985年、所有者が売りに出した梵鐘は、ジョージア州の州都アトランタの日本関係者(商工会議所、総領事館)が寄付を募って買い取り、同地にあるカーターセンターに寄贈した。こうした縁で甲奴町とカーター元大統領がつながり、2度の訪問が実現したのである。駅前通りがカーター通りへと改称されたのは、平成3年(1991)10月1日のことであった。
先月17日、J.D.サウザーが78歳で亡くなった。「You're Only Lonely」は忘れえない名曲で、あのジャケットの姿は憧れだった。初めて聞いたのは「竹下景子のこの指止まれ」というラジオ番組だったと思う。イントロから引き込まれ、耳元にラジオを寄せたのを今も覚えている。この曲の発表が1979年で、「この指とまれ」もその頃の番組だから、記憶に間違いはないだろう。
その1979年当時、アメリカ大統領だったのがカーター氏である。あれから世界は大きく変わった。変わらないのは甲奴で微笑むカーター氏だけだ。私たちは氏が希求する平和の道を進みたいと思う。本日は合衆国第39代大統領ジミー・カーター氏100歳の誕生日である。心からお祝い申し上げたい。
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