恋慕,不倫,嫉妬…,小説やドラマで繰り返し採り上げられるテーマだ。また,それが無いと面白くない。男と女の物語は永遠である。
総社市上林に国指定史跡の「こうもり塚古墳」がある。横穴式石室の長さは19.4mで,飛鳥の石舞台古墳(19.1m)にも匹敵する。もっとも容積は石舞台のほうが大きい。また,岡山県内では三大巨石墳(他は箭田大塚,牟佐大塚)の一つとして有名である。
写真の家形石棺の他にも陶棺や木棺が納められていたということで,横穴式石室の特長である追葬が行われていたことが分かっている。
もちろんコウモリのお墓ではない。以前にコウモリがたくさん棲んでいたことからの命名らしい。この古墳には「黒媛塚」という名もあった。それには次のような伝説がある。土井卓治編著『吉備の伝説』を読んでみよう。
『古事記』の仁徳天皇の条に,吉備の海部直(あまべのあたえ)の女黒媛が美しかったので天皇の侍女としたが,皇后が嫉妬したため本国に逃げ帰ったとある。そのとき天皇は,「おきべには小船つらなく黒崎のまさづこわぎもくにへ下らす」と詠まれた。しかしなお恋しさにたえず,淡路に狩りに行くといって,ひそかに吉備の黒媛に会いに来られ,山方でいっしょに菜をつんで歌を詠まれた。それは「山方にまける青菜も吉備ひととともにしつめば楽しくもあるか」という歌であった。この物語について,黒媛はここだと名乗る伝承地がいくつかある。
赤磐郡吉井町是里の大宮山
総社市上林 黒媛塚
都窪郡山手村西郡幸山
倉敷市中庄黒崎山県
津山市山方
などで,このうち黒媛塚は『吉備路風土記の丘』の備中国分寺の東にある長さ100メートルの前方後円墳であり,「こうもり塚」と呼ばれているもの。
しかし,仁徳天皇の御代とこの古墳が築かれた時代は1世紀以上も隔たっているということで,「黒媛塚」という名称は使わなくなったそうだ。古墳の周囲は菜摘みのできる環境が残っており,黒媛塚こそ相応しい名称に思える。科学もいいけど伝説もね。