大河『鎌倉殿の13人』で大泉洋さん演じる源頼朝が好評だ。冷徹なようでビビりな性格が前面に出て、顔まであの肖像画に見えてくる。ゆかりの地は東日本ばかりで西日本は関係ないのかと思ったら、そうでもないらしい。
鳥取県八頭郡若桜町岩屋堂に国指定重要文化財の「不動院岩屋堂」がある。
鳥取県を代表する観光資源で国宝、そして日本遺産でもある「三徳山投入堂」と同じ「懸造(かけづくり)」という高度な建築技法で建てられている。
重要文化財 不動院岩屋堂
大同年間(八〇六~八一〇)飛騨匠(ひだのたくみ)の創建と伝えられる。
現在の建物は、鎌倉時代に源頼朝が再建したものといわれ、天正九年(一五八一)羽柴秀吉の鳥取城攻略のとき、他の建物は兵火にかかり焼失したがこの堂だけが残ったと伝えられる。
鳥取県では有数の古建築で、三朝町の三仏寺投入堂と同じように修験道の道場であったものと推定され、岩窟の中に建立された正面三間、側面四間の舞台造である。
本尊の黒皮不動明王は高さ一・ニメートルの坐像で、弘法大師の作と伝えられる。
鳥取県
ここでは「舞台造」という表現だが同じこと。清水の舞台を思い出せば「懸造」の構造が理解しやすい。創建が飛騨匠というのは「法隆寺を建てたのは?」「聖徳太子!」「ブー、大工さんでしたー」という小学生時代のクイズを思い出す。ふつう創建者は高僧か豪族だろう。
そして、次に登場するのが大泉洋こと源頼朝である。平家打倒と何か関係があるのか。落武者狩りの拠点だったというのだろうか。まさか、ここ因幡まで来たわけではあるまい。
因幡の歴史と言えば『因幡誌』だ。その第五八東郡若桜郷窟堂村「窟堂」の項には、次のような記述がある。
大同元年の草創にて飛騨の木工が作る所と云伝ふ。或は其後頼朝卿是を再興すと。今の堂宇の普請是なり云。本尊不動明王(長二尺火焔三尺余座像)弘法大師三十三歳の彫刻にて是を因幡の黒皮不動と称す。江戸に目黒目赤の両不動あり本朝三不動と称する是なりとぞ。
説明板は『因幡誌』の記述が元になっていることが分かる。本尊の黒皮不動は目黒不動、目赤不動と並んで日本三不動だという。目黒目赤とくれば、ふつうは目白だろう。そこへ食い込んでくるとは、なかなか誇り高き黒皮不動だ。
そういえば、後白河法皇は不動明王を篤く信仰していたという。大河では西田敏行さんの法皇が夢枕に立って、眠る頼朝を意のままに操っていた。もしかすると頼朝が再建したというのも夢の中の話だったのだろうか。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。