不思議でしかたない。投入堂はなぜ落ちないのか。台風に飛ばされるとか、地震で崩れるとか、ありそうで、ない。しかも、あのような崖でどのように建築作業をしたのか。危険を通り越して不可能だろう。だから、こう考えた。投げ入れたに違いないと。
鳥取県東伯郡三朝町大字三徳に「三仏寺奥院(投入堂)さんぶつじおくのいん(なげいれどう)」がある。国宝である。
懸造(かけづくり)という独特の建築技法で、最も知られているのは清水の舞台だ。清水寺は小六の修学旅行以来行ったことはないが、怖い思いをした記憶はない。ところが、こちらの投入堂は見るだけで息を呑む。説明板を読んでみよう。
国宝三徳山投入堂
天台宗三佛寺奥の院蔵王殿投入堂は今から約千二百七十年前の慶雲三年(西暦七〇四年)に役の行者が創建したと傳えられる日本の代表的な山岳建造物である。
標高四七〇メートルの大岩窟の中に法力をもって投げ入れたといわれ御本尊金剛蔵王大権現をお祀りしている。
堂は総ヒノキ舞台づくり高さ十メートル屋根は檜皮葺きで建坪は一七平方メートル左に愛染堂が付属している。
昭和九年七月に史蹟名勝指定昭和二十七年三月には国宝に指定された。
三朝町 三朝町教育委員会 三佛寺
そうでしょう。法力をもって投げ入れたと断言してよいくらいだ。本来の名称は「蔵王殿」で、みうらじゅん氏も大好きだという木造蔵王権現立像が祀られていた。右手右足を大きく上げているのに倒れないという、これまた不思議な仏像である。
投げ入れたことにこだわって、江戸中期に成立した『伯耆民談記』巻之第七「美徳山」の項を読んでみよう。
此堂を投入(ナゲリ)堂と称するは、上は数十丈の大磐石覆ひかゝり、下は百余尋の岩墝幽谷に続き、蒼苔滑かなり誠に無双の嶮難にて、一人の歩行も為し難き所なれば、工事如何ともすべき様なくさながら外方より堂宇を造り置きて、彼の巌石のくぼみたる所に投入たらんが如し、故に投入堂と称すとなり
『伯耆民談記』は「投げ入れた」と断言しているわけではなく、「さながら~如し」と、そのように見えるとする。確かにそのように見える。いや、そのようにしか見えない。やはり投げ入れたに違いない。さすがの国宝建築である。
平成27年に文化庁は、三徳山と三朝温泉を「六根清浄と六感治癒の地~日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉」として日本遺産に認定した。文化財の価値を表すというより、観光客におもねるような表現とストーリー構成はいかがなものか。このような仕事なら文化庁ではなく、観光庁がすべきだろう。
ともあれ「日本一危ない国宝鑑賞」とは投入堂のことだが、麓に設置の双眼鏡で安全に鑑賞できる。ストーリーでは「六根清浄」の「目」に相当するそうだ。確かに目を奪う建物であり、心洗われる思いもする。さすがは役行者。奇跡を起こせるのは、この方しかいない。
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