春に誘われたわけじゃないというが、春に誘われたら断り切れるわけなかろう。晴れた空、柔らかい大気、そして満開の桜。もう、考える前に身体が動いてしまう。書を捨てよ、外へ出よう。
桜の樹の下には屍体が埋まっていた。これは信じていいことなんだよ。なぜって、ここは古墳、人のお墓じゃないか。石垣が見えるよね。横穴式石室の側壁と奥壁なんだ。この前に屍体が横たわっていたんだよ。
鳥取市佐治町葛谷(かずらたに)に「葛谷4号墳」の横穴式石室がある。
石室の内側が露出している。何もなければ土留めの石垣にしか見えないだろう。説明板には、どのように書いてあるのだろうか。
葛谷4号墳(横穴式石室)
この葛谷4号墳は、村道津無線道路改良工事に伴って1988年(昭和63)に発掘調査を実施したもので、調査の結果、古墳時代後期(7世紀初頭)とみられる横穴式石室:土墳墓周溝の一部が確認され、副葬品の須恵器(高坏・壺)土師器(皿)などの破片約30点も見つかりました。
確認された石室は、南東側に開口する横穴式石室であり、天井部はすでに墳丘などとともに取り去られ、左側壁、羨道部もなく、わずかに奥壁、右側壁の一部が遺存していただけであった。検出した西半分を左右対称形に見立てて推測すると、平面プランは石室奥側の幅が最も広く、石室入口に向かって幅が狭く無袖型石室と考えられ、形式的には、八頭郡に比較的多い形態の石室であります。
平成元年4月 佐治村教育委員会
よくあるタイプの横穴式石室だというが、規模の大きさから佐治谷の支配に関係した有力者だと推測できる。副葬品が置かれているのは、黄泉の国でも宴会ができるようにとの思いなのか。周溝で区画されているのは、聖なる空間を維持するためだったのか。
古墳の石はどこへ行った。遠い昔の物語。お墓の向こうにサクラが咲いて、そっと優しく抱かれていた。薄葬令によって次第に古墳が造られなくなり、寺院建築が権力の象徴となる。古墳の聖性は失われ、盛土や石は近隣の農民によって有効に活用されたのだろう。佐治谷を愛した古墳の主なら、本望だと言ってくれるだろうか。
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