田舎あるあるの一つに、時報メロディがある。朝7時や夕方5時に郷愁を誘うような音楽が流れる。早朝ウォーキングや畑仕事をしていても、「おお、そんな時間か」と気付かせてくれる。
市街地にはないと思っていたら、思い出した。岡山県庁では平成28年8月までミュージックサイレンを鳴らしていた。かつての時の鐘は現代にまで続いている。今日は江戸時代の時の鐘を訪ねることとしよう。
福山市丸之内1丁目に「福山城鐘櫓(かねやぐら)」がある。市指定の重要文化財である。
福山城は昭和20年8月8日に空襲を受け、天守など多くの建造物が焼失した。現存しているのは伏見櫓、筋鉄御門とこの鐘櫓のみである。市教育委員会の説明板を読んでみよう。
築城当時より城下や近隣諸村に“時の鐘”を告げた遺構で江戸期には鐘と共に緊急時武士を招集する太鼓も備えていた。
当初は杮ぶきか桧皮ぶきであったが明治以後荒廃が激しくたびたびの補修のため原形をとどめない状況であった。昭和54年銅板ぶきとし旧規に復したものである。
城地内に鐘櫓が所在するのは、全国的に例がなく貴重な文化財である。
藩庁が城下に時を報せることは珍しくない。下々の利便性に配慮しただけでなく、時の管理は支配の象徴でもある。ミュージックサイレンは当時なかったから、鐘や太鼓を鳴らして報せていた。
鐘が鳴るなり法隆寺だから、鐘はお寺で鳴り、太鼓はドドンとお城に響く。太鼓櫓のある城は多く、姫路城太鼓櫓は国重文、掛川城太鼓櫓は市重文、園部城太鼓櫓(安楽寺に移転)も市重文として現存している。ところが、城内の櫓に鐘があって時を報せるのは、どうやらレアケースらしい。よくありがちな櫓に見えながらも、貴重な文化財だと分かる。
先日、飲み会に向かうため地元の城下町を午後6時ごろ歩いていたら、お寺の鐘がゴオンと前後から相次いで聞こえてきた。時の鐘はデジタルな現代でも暮らしとともにあるのだ。
福山城の鐘はどうなのか。私は聞いたことがないが、一日4回(6:00、12:00、18:00、22:00)に機械によって鳴らされているらしい。ミュージックサイレンのドボルザーク「家路」もいいが、夕焼け小焼けには山のお寺の鐘が鳴る、いや福山のお城の鐘が鳴るというのも、また一興である。