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日本史上(?)もっとも有名な石碑、高句麗好太王碑は、古い写真では野ざらしだが今は覆屋の中で大切に保存されている。貴重な文化財を雨ざらしにするなんぞもってのほか。石造物の風化を防ぐことは、後世に生きるものの務めであろう。
しかしながら我が国には、風雨に晒されまだら模様に変色した文化財が多い。そう聞くと何事かと思うが、見れば路傍の石塔だ。雨にも風にも負けず夏の日照りにも耐える強靭な宝篋印塔である。
宍粟市波賀町斉木に「齋木中村宝篋印塔」がある。
それほど大きくはないが、端正で凛とした美しさがある。いつの時代の文化財だろうか。説明板を読んでみよう。
宍粟市指定文化財 石造 齋木中村宝篋印塔
宝篋印塔とは、鎌倉時代中期から供養塔、墓碑塔として五輪塔とともに盛んに造立されたものであり、この宝篋印塔は無銘だが室町時代前期に作られたと思われ、九輪以下が完在している点が貴重である。
宍粟市教育委員会
室町時代前期というから600年くらい、厳しい自然条件に耐えてきたのだ。いったいどのような信仰があったのだろう。私のような通りすがりの旅人が手を合わせていたのだろうか。
国道429号から400番遡って国道29号へと道を変え、播因国境の戸倉峠方面へ向かう。原不動滝を見物するため以前に通ったことのある道だ。今回は滝へと進まず、入口付近にある宝篋印塔を鑑賞しよう。
宍粟市波賀町原に「原宝篋印塔」がある。初夏の青空が塔と私を優しく包む。私たちは共に歴史の一部なのだ。
こちらも背筋が伸びるかのような居住まいである。説明板を読んでみよう。
宍粟市指定文化財 石造 原宝篋印塔
宝篋印塔とは、鎌倉時代中期から供養塔、墓碑塔として五輪塔とともに盛んに造立されたものであり、この宝篋印塔は、室町時代前期に作られたと思われ、簡略化されている面もあるが、制作年代からしても貴重である。
宍粟市教育委員会
建立年代は齋木中村と同じく室町時代前期だそうだ。このあたり一帯を治めた勢力が同時期に建てたのか、地域で何らかの信仰が流行したのだろうか。
見ればずいぶんと苔むしている。成長に必要な水分を確保できるのだろう。文化財保護の観点からは良好な状態ではないが、その姿は長い時間を身にまとっているようで、頭の下がる思いがする。
本日紹介の宝篋印塔は、好太王碑のように日本史に名を残しているわけではない。それでも、権力はなくとも信仰心の篤い庶民によって今に伝えられた文化財である。どのような信仰だったのか私には分からないが、せめてフォルムの美しさだけは伝えていきたいと思う。