仏が出現したと言ったら大丈夫かと思われるかもしれないが、磨崖仏を見た時にいつもそう感じる。もとは自然の岩だ。仏はおそらく太古の昔から岩の中にいらっしゃって、ある時代に石工が鑿を手に取り、仏の姿を浮かび上がらせた。石工の造形ではない。仏の出現なのである。
岡山市北区大安寺西町に「松山長昌寺地蔵石仏」がある。
誰もがその見事さに感動するだろう。瞑目し首を垂れる人も多かろう。微妙に傾いているのも、むしろ美しさを演出している。お堂の中に掲示されている縁起を読んでみよう。
岡山県指定重要文化財 地蔵菩薩縁起
地蔵尊はお経にあって仏陀の慈悲を体得、特に児童福祉の増進、広く一般民衆の幸福をまもる。
此大安寺延命地蔵尊は五百五十余年前の作。
昭和二十五年二月十日岡山県重要文化財に指定。
高さ一丈六尺幅一丈厚さ一丈三尺の花崗岩大自然石。
正面に高さ八尺四寸五分これを舟型にほいくぼめ其中に高さ一尺の蓮華座の上、身長五尺五寸の地蔵尊立像を陽刻。
右側に松山長昌寺応永十年四月二十四日始。
左側に同十九年夏十三幹縁長昌上人記とある。
此長昌寺不詳。
言い伝えによると後方中腹の寺に地蔵様があった。
天保七年八月の大地震の時、現在の位置に堕落。
嘉永三・四年の頃岡山藩から滑車を借りて引起したといわれ、法華開眼となって居る。
温容(おすがた)端麗(リっぱ)、霊験(おかげ)あらたかにして香煙たえない。
昭和三十三年五月一日大安寺部落民お堂再建供養、現在に及ぶ。
昭和三十三年八月二十三日
大安寺住職 横山日省 慶記
温容端麗という言葉がすべてを表しているように思える。これを記した横山日省師は日蓮講門宗(現在の不受布施日蓮講門宗)管長である。この宗派は日蓮の教え、不受布施義を守り抜いている。
銘は「松山長昌寺応永十季四月廿四始」「同十九首夏十三幹縁長昌上人記」が正しい。応永十年は1403年である。勝手な解釈だが、松山長昌寺が発起人となって応永十年四月二十四日に勧進を始め、同十九年四月十三日に結願した、ということではないか。
岩はもともと山の中腹にあったが、天保七年八月の地震で崩落したという。これほどの地震なら岡山のご城下でも大変な被害が出たと思われるが、それらしい記録は見当たらない。大雨か台風による落下でかなりの衝撃が発生し、地震と思われたとも考えられる。
分からないことが多いが、それが神仏の世界だろう。確かなことはただ一つ。そこに御仏、地蔵菩薩が出現、大地から涌き出たことなのだ。
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