昨年9月24日の国連総会で当時の安倍首相が演説し、次のように決意を述べた。
私⾃⾝、条件を付けずに⾦正恩(キム・ジョンウン)委員⻑と直接向き合う決意です。
その2年ほど前には「あらゆる手段を通じて北朝鮮に対する圧力を最大限まで高めていく」と豪語していたのだが、米朝首脳会談に追随すべく外交方針を大胆に転換した。メンツにとらわれない大英断だと私は歓迎したが、足元を見透かしていた北朝鮮からは黙殺され、米朝関係も怪しくなり、首相自身が退陣することとなって沙汰止みとなった。
北朝鮮当局による日本人拉致は刑法第226条が禁ずる所在国外移送目的略取及び誘拐に相当し、およそ近代国家としてあり得ない行為である。この犯罪を相対化するつもりはないが、戦国時代においては人や物を掠奪する乱妨取りがけっこう行われていたようだ。国内で起きた掠奪はとうに忘れ去られているが、対外的な行為であれば人々の記憶に残りやすく、文化財となると返還運動まで発生している。
敦賀市の常宮神社所蔵の国宝朝鮮鐘は、朝鮮出兵かそれ以前の倭寇により我が国にもたらされたとされる新羅時代の遺品である。この文化財の返還要求が韓国で発生しているようだ。朝鮮出兵では、戦利品の強奪のほかに捕虜の強制連行も行われていた。四百年以上の時を経てもその記憶は、我が国でも語り継がれている。
高松市飯田町に「唐人塚(とうじんつか)」がある。石柱には「葬唐人八員墓」とある。
唐人は、中国の王朝唐の人という意味から発展して、外国人一般を表すようになった言葉だ。このブログでは以前に「唐人お吉」の墓を記事にしたことがあるが、こちらは外国人ハリスとの関係を揶揄した呼び名だ。飯田町の唐人塚にはどのような由来があるのか、説明板を読んでみよう。
豊臣秀吉の命を受けて、文禄の役(一五九二年)に出兵した讃岐国領主、生駒親正一正は朝鮮半島から何人もの捕虜をつれ帰ってきた。
この地方にも八人の捕虜が、唐戸資宗(からとすけむね)の監督のもと配流されたのである。ところが八人は将来を案じたか、恥を忍びきれなかったのか、自殺を遂げた。土地の人々は、彼等をあわれみ、唐戸家墓地の一隅に墓をたてて葬ったと伝えられる。以来四〇〇年唐戸家の人々によって守られてきた。
なお、朝鮮人捕虜の墓は、このあたりに点在する小さな塚が、そうであるとの言い伝えもある。
高松市教育委員会
場所は少々あいまいになっているが、捕虜の連行があったことは確かだろう。意に反して拉致された人々は、民族の誇りを守ろうと命を絶ったのかもしれない。荒れた墓と伝説だけが、その悲劇を今に伝えている。
長い歳月を経てすっかり過去の出来事となったなら合掌して偲ぶことしかできないが、現代の拉致問題は喫緊の懸案であり、国交正常化を視野に入れた包括的な協議は、今すぐ始めなければならない。北朝鮮問題はトランプ大統領によろしくではなく、我が国が主体的に解決する案件なのだ。
菅新首相はトランプ氏との個人的関係を築くよりも、日中韓(さらには香港、台湾とも)の連携方策こそ最優先に検討すべきだろう。菅内閣がアジアとの連帯を重視し、対米自立ができる本格的な保守政権だと見込んで、そう指摘しておく。
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