権利幸福嫌いな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい オッペケペ オッペケペ オッペケペッポ ペッポッポー
自由民権運動の気運の高まり、あるいは大衆が楽しんだ流行歌の代表例として「オッペケペー節」は、教科書に登場するほどよく知られている。これを演じたのが日本演劇史に名を残す川上音二郎であった。
津山市神戸の作楽神社境内に「神楽殿(旧拝殿)」がある。
もう少し音二郎の話を続けよう。オッペケペー節を始めたのが明治21年(1888)秋、いよいよ憲法発布が近付いて「自由」や「権利」という言葉も浸透していたことだろう。同24年(1891)には「板垣君遭難実記」も大当たり。音二郎は板垣を襲った相原尚褧の役であった。
ずいぶん前に訪れた板垣の遭難場所には「昭和60年NHK大河ドラマ『春の波涛』ゆかりの地」と示されていた。音二郎の妻である川上貞奴が主役の珍しい近代大河である。貞奴を松坂慶子さん、音二郎を中村雅俊さんが演じていた。
そんな有名な二人が作州津山にやって来たという。どのようなつながりがあるのだろうか。
オッペケペー節や壮士芝居で有名な川上音二郎は、晩年、妻の貞奴と共に、児島高徳の史劇で全国をめぐったが、津山を訪れた際、作楽神社に参拝してその荒廃を嘆き、独力で拝殿と石橋を寄進した。明治末年のことである。
今、神楽殿として使用しているこの建物がその拝殿であり、NHK大河ドラマ「春の怒涛」のヒロイン貞奴とその夫音二郎の敬神の志しを今にとどめている。
昭和六十年三月 津山観光協会
音二郎による拝殿の寄進は明治40(1907)年。欧米公演で好評だった「児島高徳」を日本でも興行し、高徳ゆかりの津山を訪れていたのだ。ちなみにこの劇の主題である「忠義」はアメリカではよく理解されなかったが、イギリスでは大いに受けたという。金尾種次郎『川上音二郎貞奴漫遊記』(金尾文淵堂、明治34)には次のように記されている。
我々日本臣民同様、一天万乗の皇帝陛下を奉戴(いたゞ)いて、建国以来其聖沢に浴して居る英国臣民であるから、狂言の精神-高徳の精神-忠君の精神が、チャアンと分ッてゐる。
日英同盟締結は明治35年(1902)のことである。その背景にはロシアへの対抗という国際情勢だけではなく、音二郎の名演技によって親日的な雰囲気が醸成されていたのかもしれない。この時代、音二郎もまた坂の上の雲を目指して一心に歩んでいた。その気概を今に伝えるのがこの神楽殿なのである。
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