通ったことはないが、パナマ運河は便利だ。地球儀を見て、つくづくそう思う。ただし通航料が3000万円くらいかかるのだという。ご存じのように、水位を調整しながらゆっくりと進む閘門式運河である。ひと手間もふた手間もかかるが、世界最大のショートカットと言って過言ではなかろう。
倉敷市船穂町水江に「一の口水門」がある。市の史跡に指定されている。
堤防の向こうは高梁川で、この水門を起点として運河「高瀬通し」が開かれていた。高梁川上流域から荷を運んできた高瀬舟は、ここから備中玉島に向かっていた。
一の口水門から見た「高瀬通し」である。
一の口水門から約350mに「二の口水門」がある。
さらに1kmほど下流に、もう一つの美しい石組の水門がある。
ここは「又串水門」と呼ばれている。農業用水を確保するための水門らしい。
高瀬通しのイメージがつかめたので、もとに戻って一の口水門に設置されている倉敷市教育委員会の説明板を読んでみよう。
この水門は、松山藩主水谷氏によって、正保二年(一六四五)に築かれたという。江戸時代のはじめ、船尾・長尾・玉島一帯の干拓新田一千余町歩が、松山藩主池田氏及び水谷氏三代により造成された。このことで、用水の取水だけでなく物資運搬の舟を通す必要にせまられた。そこで、この水門より玉島港に至る約十キロメート ルの水路が整備され、延宝二年(一六七四)頃に完成した。高瀬舟が運航され、通称「高瀬通し」といわれた。水谷氏はここより約三百メートル下流にニの口水門を設けて閘門式運河とした。閘門式としては我が国最古に属する。大正十四年高梁川改修工事の完成により、一の口水門は東岸酒津分水樋よりサイフォン方式の用水取り入れ口に改造された。高瀬舟は秋から春まで備中北部と玉島港を結び、物資を積んで盛んに上下した。約二百年あまりの間、用水路・運河の関門として活用された高瀬通しの起点に設けられた水門として、非常に貴重な文化財である。
一の口水門と二の口水門の間で水位を調整する閘門式運河なのである。パナマ運河の開通が1914年で、高瀬通しの開通は1674年。「パナマ運河より240年前の水門」という事実は地元の誇りでもある。高瀬通しを完成させた水谷氏を顕彰した『水谷左京亮勝宗公三百年祭記』には、次のような記述がある。
高瀬通しの一の口水門から二の水門までの間は閘門式運河になっていて、三〇艘から五〇艘の高瀬舟が高瀬川を下って一の口水門を入ると、繋舟して水位が約二ー三メートルになるのを待って、二の水門を開いて下降させた。これはパナマ運河にさきだつこと約百五十年で、世界最古の閘門式運河であった。
「高瀬川」は高梁川の誤りだろう。「パナマ運河にさきだつこと約百五十年」はよく分からない。二百五十年の誤りだろうか。とにかく評価の尺度は、パナマ運河よりどれくらい古いか、にあるのだ。しかも「世界最古」と大それた主張をしている。
他にも延宝七年(1679)完成の倉安川吉井水門(岡山市東区)、享保十六年(1731)開通の見沼通船堀(さいたま市緑区)が我が国最古を主張している。ネットで「世界最古 閘門式運河」と検索しても国外の運河がパッと出てこないので、もしかすると一の口水門は、閘門式運河として本当に世界最古なのかもしれない。