「アベノミクス」が20年来の不況を好転させたならば、安倍総理の名と共に経済史に記録され、後世の鑑となる政策に位置付けられるだろう。民主党ブームの時には、これで世の中は変わると本気で思ったものだが、今にして思えば「なんちゃって政権」であった。本格政権の呼び声が高い安倍政権は、憲法改正を目指して96条に手を付けようとしているが、つまらぬことにこだわって「アベノミクス」もろともコケなければよいのだが。
岐阜市若宮町一丁目に「御薗(みその)の榎(えのき)」がある。岐阜市指定史跡である。
巨樹の文化財なら「天然記念物」の指定となるはずだが、「史跡」とはどういうことだろうか。岐阜市教育委員会の説明板を読んでみよう。
永禄十年(一五六七)九月織田信長は、稲葉山城を攻略し、美濃一国支配を実現した。これにより信長は、天下統一に向けての意志を明確にし、領国経営に乗り出した。
十六世紀前半、すでに上加納村(かみかのうむら)には楽市場(らくいちば)が存在したが、信長は、制札を与え商工業者の保護・育成策を打ち出し(楽市楽座)、その権利を認めた。
この榎は、楽市場(上加納村御薗)に市神(いちがみ)としてあったものである。ルイス=フロイスは、著書『日本史』のなかで、岐阜の賑(にぎわ)いをバビロンのごとしと讃えたが、この木は、その繁栄を代々、見すえてきたものである。
榎は、嘉永五年(一八五二)に枯木となり植えなおされ、明治初年の道路改修工事に際して、橿森神社(かしもりじんじゃ)大門へ移植された。これが現在の若宮町一丁目の榎である。
なるほど、中世の閉鎖的な商業体制を打破した画期的な経済政策「楽市楽座」を見た榎であったか。いや、その二代目であった。しかも、移植前は約80m西の御鮨街道沿いにあったそうだ。それでも、かの有名な楽市楽座ゆかりの史跡には違いない。
フロイスが岐阜の賑わいを日本のバビロンだと表現したという。ここでは、フロイスの『日本史』ではなく、そのもととなったアルカラ版書簡集(1569年7月12日付)で読んでみよう。(髙木洋『宣教師が見た信長の戦国』風媒社より)
私たちは一万人が住む岐阜(ギフ)の町(シウダ)に到着し、和田殿が送り込むべく(手配した)ある家に泊まりました。ここには多くの取引・商売があり、それは(まるで)バビロニアの混雑であります。というのは、塩や布、その他の商品を積んだ馬をたくさん連れた商人が、さまざまな国からここに集まっていたからです。それで、家の中でも商売や雑踏の(音の)せいで誰も声が聞こえません。
見よ、岐阜の繁栄を。楽市楽座は規制緩和であり市場開放である。信長が新興の商工業者に市場開放を保障したおかげである。
安倍総理は3月15日にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉に参加する旨を表明した。世界の市場は日本の自動車に市場を開いてくれるのか。いや、その前に日本が世界の農産物に市場を開かねばならない。アベノミクスの円安、株高のためには、外資に市場を開放せねばならないのか。安倍総理は、信長が岐阜で成し遂げたことを、世界を相手に挑戦しようとしている。