学問の神様,といえば菅原道真だけではない。吉備真備,和気清麻呂の祀られている神社でも同様なご利益があるそうだ。そしてまた,新しい学問の神様に出会った。
尼崎市南城内の櫻井神社の境内社として「契沖神社」が鎮座する。
僧契沖は日本史で習った。国学の系譜には必ず登場する。現在,古文で学習する歴史的仮名遣いを整えたのも彼である。確かに頭の良い人だったらしい。『尼崎地域史事典』は次のように評価する。
契沖は近世日本の生んだ鬼才であり,その学問は確乎たる文献的基礎の上に,独創的研究を行ない,国学隆盛の基を築いた。
契沖の実家,下川氏は加藤清正のもとで高禄を食む武士だったが,加藤氏の没落後は尼崎藩の青山幸成に250石で仕えていた。契沖が生まれたのは寛永17年(1640)。
尼崎市北城内の市立中央図書館前に「契沖生誕の比定地」の顕彰碑が建てられている。
建碑した契沖研究会の主催で契沖顕彰短歌大会が開催されている。第7回大会児童の部の契沖大賞は尼崎市立浦風小六年の石原寛太君の作品だった。
ブランコがゆれて誰かをまっているだれもこなくてゆっくりとまる
懐かしくて美しい光景が広がる。そこには静寂がある。契沖の言う「眞言(まこと)」とは,このようなことなのだろうか。