時間に余裕ができたら伊豆半島をゆっくり回ってみたい。そんな憧れを抱いている人は多かろう。どこに何があって何がしたいかなど、具体的なことは考えていないし、そもそも知らない。ただ「伊豆」という地名はブランドである。行けば楽しいことが待っているだろう、そんな気がする。
自治体の名称でも伊豆ブランドは大人気だ。伊豆市、伊豆の国市、西伊豆町、東伊豆町、南伊豆町。伊豆市と伊豆の国市の位置関係が説明できる人は全国にどれくらいいるだろうか。
旧国名では「丹波」もブランド化している。丹波市、丹波篠山市、京丹波町。篠山市は令和改元に合わせて市名を変更したくらい丹波愛が強い。旧篠山町は「丹波篠山」として全国的に知られており、隣の氷上郡6町が合併して「丹波市」を名乗った際に強い違和感を覚えたという。
そりゃそうだろう。丹波は氷上郡のみならず兵庫県から京都府にまたがる広大な国である。それを一地域に過ぎない氷上郡が名乗るのは夜郎自大、僭称ではないか。さらに言えば、住民アンケートでは「氷上市」がトップだったにもかかわらず、合併協議会が覆したのである。その結果「丹波篠山は丹波市内にある」という重大な誤解を招くこととなり、はっきりさせるべく「丹波篠山市」を名乗ることとなったわけだ。
丹波篠山の魅力は食にあり。私にはみなさんにお勧めしたい三大食材がある。まずは猪肉。初めて訪れた時に食べた猪丼の感動は今も忘れられない。次に丹波栗。2回目に訪れた時に探し求めた純栗羊羹は絶品だった。そして本日紹介するのが丹波黒である。
丹波篠山市黒岡に「丹波黒大豆発祥の地」と刻まれたモニュメントがある。
空に浮かぶ巨大な黒豆が印象的だ。実際に「丹波黒」は大粒なのが特徴である。裏側の碑文を読んでみよう。
建立にあたって
丹波黒大豆は、古来より波部黒大豆と川北黒大豆の2系統があり、総括して丹波黒大豆と呼ばれていた。丹波盆地特有の昼夜の温度差が大きいこと、肥沃な土壌、清らかな水など優れた気候風土に意まれ、お正月のおせち料理などに欠かせない食材として、古くから禁裏、将軍家等へ献上されて来ました。
1970年代より米の生産調整が始まり、丹波黒大豆の栽培が多くなり、篠山町農協は組合員の有利販売への強い要望から全国に向けた産直販売をはじめ、加工販売につとめて来ました。
1998年、こうした生産、販売の努力が認められ、第36回朝日農業賞受賞の栄に浴することができました。今回、この受賞記念として丹波黒大豆発祥の地に記念碑を建立いたしました。
2002年3月吉日
建立者 篠山町農業協同組合
江戸時代から有名なようだが、「丹波黒」という品種名がつけられたのは昭和16年である。大東亜戦争開戦の年だから軍国主義一色かと思ったら、後世に残るいい仕事もしていたのだ。このモニュメントには「第36回朝日農業賞受賞記念碑」とも刻まれている。平成十年(1998)に篠山町農業協同組合生産部が丹波黒の生産・販売の努力を認められ受賞した。丹波黒大豆のブランドを確立したことが評価されたのだろう。朝日農業賞はこの年を最後に発展的解消されたので、篠山町農協は最後の受賞者(複数)となった。
こうした実績から、篠山町(平成十一年から篠山市)と言えば丹波篠山で丹波黒という分かち難いイメージを形成していた。ところが平成の大合併で丹波市が誕生すると、丹波黒の印象が丹波市に引き寄せられるようになった。これではいかんと篠山市も「丹波を、取り戻す。」の意気込みで丹波を名乗るようになったのだ。
丹波黒は定番の煮豆だけでなく、甘納豆にグラッセ、パウンドケーキにシフォンケーキとさまざまに加工されているようだ。今年もまた実りの秋がやって来る。農家の人々にとっては産地として知られ、売れるようになることこそ勲章である。買い物ではどこ産か少々気にしながらカゴに入れるようにしよう。