「死ぬまでに行きたい」と形容される絶景スポットに、モンサンミシェルがある。今年は建造開始1000年のメモリアルイヤーで、マクロン大統領は現地で「モンサンミシェルはフランスが大きくなるにつれて高くなった」と礼賛したそうだ。
岡山市東区正儀(まさき)に「飯盛岩」がある。
島と本土が砂州でつながった陸繋島であり、地形としてはモンサンミシェルと同類である。その気になって眺めていると、岩の隙間から伸びた木々が修道院の尖塔に見えてくる。「さあ、お行きなさい」と神様が道をつけてくれたように思えるが、実際には島陰の波力が弱い部分に砂が溜まったものである。トンボロ現象というそうだ。
モンサンミシェルは今年ロマネスク教会の建造が始まって1000年だというが、1966年にフランスで1000年を記念する切手が発行されている。調べたところ、966年にノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を造ったことを記念しているらしい。
さらに遡ると、708年に大天使ミカエルのお告げにより礼拝堂を建立したのが、モンサンミシェルの起源だということだ。2008年には1300年を記念するイベントがあった。理由は何であれ、お祝いで盛り上がりたいのが人間だ。
一方こちら、瀬戸内のモンサンミシェルは観光とは縁遠い場所にあるものの、景観保全の観点からは重要なランドマークとなっている。変化に富む海岸線の美しさを後世に伝えようと、この地域には瀬戸内海国立公園が設定されている。
この国立公園の区域を兵庫岡山県境の真尾鼻から西へなぞると、牡蠣の養殖筏が浮かぶ片上湾、かつて塩田だった錦海湾など、変化に富む海岸線をすべて含んで飯盛岩にたどり着く。
ところが飯盛岩から西へは児島湾に入らず、対岸の米崎東端へと一直線に海上を進むのである。地理院地図に名称が記載されているのも、こうした重要な位置付けによるものだろう。
フランスのモンサンミシェルは年間250万人が訪れる世界的な観光地だ。瀬戸内のモンサンミシェルは誰もいないのかと思ったら、一組の家族連れが遊んでいた。本土と島がつながった陸繋島は、心の癒しを求める人々の絆を深めているのである。
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