お寺の山号は、比叡山延暦寺のように本物の山である場合と、明光山妙勝寺のように嘉字で創作している場合がある。比叡山や高野山などは山の奥にお寺がある。いっぽう、うちの檀那寺もそうだが、まったくの平地にあるのに「○○山」と称する寺もある。むしろ、こっちの方が多いだろう。
山号には、天台宗や真言宗、修験道など山岳を好む平安仏教の影響があるようだ。なるほど、都市を舞台とした奈良仏教の東大寺や興福寺には山号がない。本日紹介する名刹には、車ではあったが坂道をずいぶん登った。すると、息を呑むような巨木が迎えてくれた。
岡山県久米郡美咲町両山寺に「二上山両山寺(ふたかみさんりょうさんじ)」がある。
写真は両山寺のシンボルともいえる巨木「二上杉(ふたかみすぎ)」である。目通り周囲7m、樹高40m、樹齢は千年と推定され、県の天然記念物である。
南にある仁王門には町指定重要文化財の「金剛力士像」がある。金網がなかったら首根っこを掴まれ、つまみ出されたかもしれない。大迫力だ。近世初期の制作らしい。寺の歴史はずいぶん古く、奈良時代までさかのぼるという。説明板を読んでみよう。
二上山両山寺略記
高野山真言宗準別格本山両山寺
当、両山寺は、人皇四十三代元明天皇の御宇和銅七年(七一四)開祖泰澄法師が観音の霊夢により草創されし霊刹で、御本尊は正観世音菩薩にして尊像は天竺毘首羯摩(びしゅかつま)の作なり。山は二峯併立し恰かも金胎両部を表示し、一岳両峰真(まこと)に天地自然の妙容なり、故に山を二上山と呼び、寺を両山寺と号す。開山の砌りは、真言、天台の二道場にして、二十有余坊の僧坊、七堂伽藍を有し、近国の名刹として頗(すこぶ)る聞えしが、いつしか天台宗衰え真言一宗となり、現在は本坊一寺となり、他は字名として残るにとどまり、栄枯盛衰の跡を物語るにすぎない。養老年中(七一七-七二三)唐土の不空三蔵当山の本尊を加持し、国家安泰を祈願し五智尊像を五重塔に納められるが、永禄八年(一五六五)尼子氏と毛利氏の干戈(かんか)により堂塔伽藍を焼失せり。此の時、本尊正観世音菩薩天野ヶ原に飛行し光明を放ちて赫々たるを朱雀天皇の御苗流僧正良尊大和尚直に尊像を守護し奉って、再び此の地に堂宇を建立し本尊を安置す。今の本尊即ち是れなり。なお、元禄元年(一六八八)十一月朔日(ついたち)、当国の大守長成公より万代不易の寄附顕然たり。而して当山、其境幽遽にして頂嶺の遠望は満眼衆山怡かも平地の如く、一度山頂に立てば雄大の気自ら迫り、無二の霊場と言う可きである。また当山の鎮守護法善神は、仏法擁護、伽藍安全の守護神で、建治元年(一二七五)七月僧定乗(じょうじょう)護法の託宣を得て、毎年陽暦八月十四日祭式(県指定重要無形民俗文化財)を修め天下泰平、万民快楽(けらく)の祈念を行っている。
合掌
まず山号の二上山は、二つの峰がある本物の山である。東峰の弥山(みせん)は673m、西峰の城山(しろやま)は689m。近畿地方の有名な二上山(にじょうさん)にも、雄岳と雌岳がある。寺号の両山寺も二つの峰に由来するが、二つの峰が並ぶさまを二幅一対の両部(両界)曼荼羅、すなわち金剛界と胎蔵界に見立てているのである。まさに密教の聖地と言えよう。
引用した略記には、幾人かの名前が登場する。寺を開いたのは「泰澄(たいちょう)」、本尊は「毘首羯摩(びしゅかつま)」の作、本尊を加持したのが「不空三蔵(ふくうさんぞう)」、中興の祖は「良尊」、護法祭という祭式を始めたのが「定乗」である。
両山寺から近い弥山に登ってみると、正面に「開祖泰澄」側面に「開山和銅七年」と刻まれた石碑がある。泰澄は「祝・白山開山1300年!」で紹介したように、霊峰白山を開いた僧である。白山開山が養老元年(717)だから、両山寺はそれよりも早いことになる。
毘首羯摩は帝釈天の臣下で仏師の神様、そこから転じて名工を指し、具体的な人名ではない。天竺とあるからインド出身のようだ。不空三蔵は玄奘三蔵と並び称されるほどの高僧で、密教の興隆に尽力した。ずいぶん国際的な色彩を帯びているが、実際に両山寺で活躍したのは、良尊や定乗というお坊さまなのだろう。
東峰と西峰の中間に「塩場の池」がある。ここは定乗が始めた「護法祭」ゆかりの地である。奇祭と呼ばれるのだが、どのような内容だろうか。説明板を読んでみよう。
うっそうとした木立に囲まれた7つの小さな窪地は、年中泉がわいており、古来から清浄の池とされ、修行者が水ごりをしたり、農民が雨ごいに訪れたという。潮の干満につれて池の水位が上下すると伝えられ、潮場とか塩場と呼ばれている。
両山寺では、毎年8月14日深夜、鎌倉時代から始まったとされる奇祭「護法祭」(県指定重要無形民俗文化財)が開かれ、護法善神が乗り移ったとされる「護法実(ごほうざね=ゴーサマ)」が、半紙で作った紙手(しで)をかぶって境内を縦横無尽に駆け回り、五穀豊穣と天下泰平、万民快楽を祈念する。
祭りの中心となる護法実は、祭りの約1週間前から本坊書院内の護法殿にこもり、塩場の池の1つ「龍王池」で水ごりをして身を浄める。心身の清浄を念じつつ、21杯の水をかぶるのを1回とし、1日6回の水ごりを祭りの日まで続ける。
祭り当日は、最後の水ごりの後、本堂内で祈りつけが行われ、護法善神が乗り移ると、護法実は護法善神の使いである鳥のように羽ばたく仕草をしながら走り飛び回る。
環境省・岡山県
確かに凄い。神が降りてくるとはこういうことなのだろう。鳥のように羽ばたく仕草をしながら走り飛び回ることを「お遊び」といい、これを邪魔してゴーサマに捕まると災いが降りかかるという。745回目となる昨年はコロナ禍のため、参拝者なしで執り行われた。
神の遊びであると同時に、人の遊びの要素もあってほほえましい。昨年は邪魔する者がいなかったから、護法善神さまも悠々とお遊びになったことだろう。五穀豊穣、天下泰平、万民快楽と鎌倉のむかしから今も変わらぬ人の思いが込められている。
病魔退散を願いつつ、二度目の春を過ごしている。ゴーサマは鳥のように羽ばたくというが、私たちの守護神アマビエも鳥のようなくちばしをしている。大空に群れなす鳥は、まさに自由の象徴。私たちを病魔から解放してくれるに違いない。