辺野古問題の行く末はどうなるのか。土砂が投入され半年が過ぎ、既成事実化が加速しているようだ。こうして基地が建設され、やがて「出来てしまったものは仕方ない。有効に使おう。」なんてことを言う日が来てしまわないか。
暗澹たる思いを巡らしているうちに、私は苫田ダムを思い出した。約40年にわたるダム建設反対闘争があったが、平成16年にダムは完成し、対立と混乱の歴史も今は昔の物語となっている。
岡山県苫田郡鏡野町久田下原(くたしものはら)に苫田ダムがあるが、ダムが建設される前には「団結の碑」があった。
碑のあった場所は今では水没しており、正確には分からない。碑文は当時の人々の切実な思いを余すことなく伝えている。
昭和三十二年十二月十八日の山陽新聞は突如苫田ダムの構想を発表した。県のその構想によれば久田下原地内に堰堤を造り苫田村内三百数十戸と二百町歩の水田を水没して有効貯水量三千万屯の多目的人造湖を造らんとするものであった。
之に対し同月二十二日村民大会を開き「吾々は不当なる犠牲を地元民に強要せんとする此暴挙は絶対に阻止する」ことを決議し全村民一、九〇八名の連判誓約をなし総蹶起之が阻止に邁進した其結果翌十二月二十六日の岡山県議会に於て「苫田ダムに関する限り地元の了解を得ずして実施しないよう」との全会一致の決議がなされ県に申入れて此構想は取止めの措置がとられたことは感激の極である。
吾々は将来正には正を以て対し「一握の阿堵物(あとぶつ)を以てすれば民は倚(よ)らしめ得る」との人権軽侮に対しては飽くまで団結の力を以て対処することを宣言する。
昭和三十三年三月 苫田村々民一同
まず訂正だが、冒頭に登場する山陽新聞は十一月十八日付のものである。突然の新聞報道に苫田村民はすぐさま反応し、総決起集会で「苫田ダム建設阻止期成同盟会」が結成され、県議会に陳情を行った。住民の同意なしに事業を進めないとの決議を全会一致で勝ち取ったことは、住民運動の大きな成果であった。碑文では「感激の極」と表現されている。
さらに碑文には、人権宣言ともいうべき大切な真理が示されている。「一握の阿堵物を以てすれば民は倚らしめ得る」という「いくら反対しててもな、あいつら金を渡せばコロッと態度を変えるぜ」という行政の態度を批判し、住民の連帯を高らかに宣言したのである。
その後、苫田村は合併により奥津町となり、ダム建設反対は町是として長く維持された。しかし昭和五十年代後半から県の圧力が強まるとともに住民にも賛成派が増え、特に六十年代には建設阻止を公約とした町長が三人連続して途中辞任に追い込まれるなど、町政は混乱を極めた。
そしてついに平成二年、町長はダム建設を前提とする町政への転換を表明するのである。
今は水没しているが、かつての奥津町久田下原に「奥津町役場」があった。この写真は平成六年の撮影で、この年に議会もダム建設に同意した。住民の高齢化や住宅の移転により、反対運動は継続できなくなっていた。
河川予定地の国道179号である。向こうには吉井川が流れている。現在このあたりは美しい水を湛え、奥津湖と呼ばれている。
苫田ダムは平成11年に着工、16年に完成した。翌年から運用されている。ラビリンス型という美しいデザインで、間近で見学できる放流は大迫力だ。「苫田ダム空間のトータルデザイン」として土木学会デザイン賞2007の最優秀賞を受賞している。ダム湖の底に、かつて人々の生活があったことなど、すっかり忘れ去られているかのようだ。
久田下原の湖畔に「団結の碑」がある。
かつて見た「団結の碑」が、ダムの完成後どうなったのか気になっていた。こうして大切に保存されているものの周辺に人家はなく、時おり車やライダーが通り過ぎるだけだ。碑を見学して住民意思と行政との関係を改めて問おうとする人はいない。
沖縄では先月23日、安倍内閣総理大臣の出席のもと戦没者追悼式が行われた。首相はよく「沖縄に寄り添う」と口にするものの、その言葉はほとんど信用されていない。モリカケ問題と同じく、丁寧な態度でやり過ごしているかのようだ。
辺野古移設という鉄壁さえ揺るがねば、あきらめる住民が現れ、その数は増すだろう。過去の公共事業から、そのように学んでいるのかもしれない。補助金の額を賛否の態度により加減することも常套手段だ。賛成派の仲井真知事には増額し、反対派の名護市長の頭越しに辺野古地区に補助金を直接交付したこともあった。
「団結の碑」が高らかに宣言したように、誇りある人間は一握りの金で簡単に意思を変えない。とはいえ、人は理屈のみにて生くるにあらず。長きにわたる闘争に疲れた人もいるだろうし、生活の豊かさを最優先する人もいるだろう。当事者それぞれの判断は尊重されねばならない。
平成六年に撮影した4枚の写真の風景は永遠に失われた。ただ「団結の碑」のみが恩讐の彼方にひっそりと残された。私は思う。いま必要なのは基地でもなければ、あえて言うが辺野古の海でもない。沖縄県民に向き合う政府の真摯な態度であり、信頼関係の構築だ。残念なことに苫田ダムにおいては実現できなかった。信頼するとは、相手の人権を尊重することである。
追伸:総記事数が1400本に達しました。ここまで続けることができたのも、ひとえに読者みなさまのおかげです。心より御礼申し上げます。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。