「十三参り」という行事があるが、私のうちはしたことがない。13歳のお祝いに虚空蔵(こくうぞう)菩薩にお参りするのである。なぜ虚空蔵か。この菩薩は知恵と功徳が虚空の如く広大無辺なのだそうだ。虚空蔵菩薩の真言を100万回唱えるとスーパー記憶力が得られる、という修行があり、これを虚空蔵求聞持法(こうくうぞうぐもんじほう)という。弘法大師空海の頭がいいのは、このおかげだそうだ。
津山市東田辺に「黒沢山萬福寺」がある。標高600mくらいの場所にあり、津山市街地が一望できる。
右の看板には「日本三所 福威智満 黒澤山萬福寺 本尊 虚空蔵大菩薩」とある。虚空蔵菩薩が有名なお寺はいくつもあるが、ここはその三指に入るのだという。他の二か所はどこなのか、お寺の縁起にはどのような物語があるのか、土井卓治編著『吉備の伝説』第一法規では「黒沢山万福寺縁起」と題して、次のように記されている。
津山市の西北方黒沢山上に万福寺という、虚空蔵をまつり十三参りで有名な寺がある。日本三虚空蔵といって伊勢の朝熊は智一万、奥州の柳井津は力一万、黒沢山は福一万という。旧一月十三日が会式で、近郊はもちろん、鳥取県側からも多数の参詣者があり、おこもりをする人も多い。参詣者の中にはこのとき、寺から金を借りる人がある。百円借りて翌年は倍返しする。この金をもとでにすると必ず福が授かると信じられている。
昔、西田辺荘に惣薪太夫という猟師がいた。ある日、黒沢山に狩りにゆき泉のそばで休んだところ、そばにある高さ三十三丈(一〇〇メートル)の大ヒノキの枝に光明サンゼンと光るものがあらわれた。おどろいて、被っていた桧笠をぬぎ一心に拝んだところ、この笠の中に光り物があらわれた。猟師はここに発心して堂をつくり、この光明を祀ったのが虚空蔵様であった。
「伊勢の朝熊」とは三重県伊勢市の朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)で、「奥州の柳井津」とは福島県河沼郡柳津町の霊巌山円蔵寺(れいがんざんえんぞうじ)である。どちらも日本三虚空蔵として有名で、あと一つは京都市西京区の法輪寺とも茨城県那珂郡東海村の日高寺とも言われている。黒沢山萬福寺が金剛證寺(智一満)、円蔵寺(力一満)と並んで、福一満として知られるというのも、この地方に限られた話のようだ。
猟師の前に顕現した光を虚空蔵菩薩として祀った年は、寺のホームページでは和銅元年(708)、江戸時代の地誌『作陽誌』西作誌上巻苫南郡寺院部に掲載の寺伝では七年(714)とされている。いずれにしても和銅年間草創の寺院はけっこう多い。平城遷都に伴って地方でも建築ラッシュになっていたのかもしれない。
参道の途中に「硯ヶ嶽」がある。
ビル壁のように巨大な岩で、参道から慎重に斜面を下りていかねばならない。「硯」に何らかのいわれがありそうだ。参道沿いの説明板には次のように記されている。
硯ヶ嶽霊場
弘法大師、不動明王を祭祀し岩壁の見事さと尊厳は当山唯一の霊地なり。
者し巨勢金岡(日本三画家の一人)が虚空蔵菩薩を尊信し当地に籠り岩上に筆硯を置いて画想を練り八祖十二天を画せし由来あり。名づけて硯ヶ嶽と云う。
巨勢金岡は大和絵を大成させた実在の画家だが、その作品はまったく伝存していない。平安初期の人で、実際には地方を旅することはなかっただろう。それでも伝説にはよく登場し、以前に「いぼ神様になった巨勢金岡」という記事で紹介したことがある。
日本人は何でも三つにまとめたがるが、「日本三画家」とは誰だろうか。大和絵の巨勢金岡、水墨画の雪舟、近代絵画の黒田清輝はいかがか。時代もジャンルもバランスがよい。「八祖十二天」とは何だろうか。萬福寺は高野山真言宗だから真言八祖のことで、インド、中国合わせて七人の祖師に弘法大師を加えて八人となる。重要文化財に指定されている真言八祖像もある。十二天は仏法の守護神で、八方位に天地、日月を加えて12とし、世界中を仏敵から守ることが期待されている。十二天像にも重要文化財がある。
もし巨勢金岡の作品が現存すれば国宝級だろう。そんな第一人者を登場させなければ釣り合いがとれないくらいスケールの大きな岩壁なのだ。コロナ禍とはいえ13歳の成長は保障されねばならない。天網恢恢疎にして漏らさず。広大無辺なスケールの虚空蔵菩薩に守護されている自分の力を信じて、思い切りチャレンジしてほしい。
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