日本製鉄によるUSスチール買収が進展している。トランプ大統領はやむを得ないと考えているものの、メンツにはこだわっているようだ。アメリカの製鉄は1621年に始まる。当時のイギリス領バージニアにフォーリング・クリーク製鉄所が設立されたのである。我が国の近代製鉄は安政四年(1857)に盛岡藩大橋で始まったというから、アメリカの方がずいぶん先輩だ。誇り高い大統領が悔しがるもの無理はない。
しかし、我が国の製鉄技術そのものは6世紀後半に確立したと考えられており、考古学的に最古とされるのは千引カナクロ谷製鉄遺跡(総社市)である。ちょうどこの頃に吉備三大巨石墳(箭田大塚、牟佐大塚、こうもり塚)が築かれるのだが、鉄製工具の安定供給と無関係ではあるまい。
福山市神辺町湯野に「迫山(さこやま)第1号古墳」がある。こんもりとした円噴の南側が開口している。
神辺平野を見渡せる好立地で、地域の首長に相応しい墳墓である。今は木々が茂って周囲は見えないが、緑の中を気持ちよく散策できる。石室に入ると奥壁に素敵な形の鏡石が見える。振り返ると玄室と羨道を区切る袖石が片側だけについている。古墳側の説明板を読んでみよう。
広島県史跡
迫山第1号古墳
深安郡神辺町大字湯野字迫山9-1
昭和61年11月25日指定
備後南部で最大の横穴式石室をもつこの古墳は、この地域のリーダーとその家族が葬られていました。石室内の発掘調査ではさまざまな副葬品が出土しましたが、なかでも儀式に使用された環頭太刀は、このリーダーが畿内政権と非常に親しい関係にあったことを示す出土品といえます。
この太刀を持つことができる人物は限られており、迫山古墳群だけでなく、神辺平野の東部地域の軍事組織を統率した指揮官クラスの人物であったと思われます。
また、この迫山古墳群の眼下にある大宮遺跡からは大型建物群の集落が見つかっており、この古墳群に葬られた人達が暮らしていた館跡と考えられています。
【古墳データ】
《古墳の規模・形》直径21.5m、高さ5mの円墳
《石室形式・規模》片袖式横穴室石室、全長11.6m、玄室高2.8m、玄室幅2.5m
《出土品》武器(単鳳環頭太刀1・銀象嵌太刀1・鉄刀1・鉄鏃20)、馬具(鉸具2)、装身具(耳環8・切子玉2・勾玉1 ・管玉12・ガラス玉7・なつめ玉・練玉210)、土器(須恵器・土師器)
《時代》古墳時代後期末-6世紀末-
平成15年3月31日 福山市教育委員会
環頭太刀とは柄の先、柄頭(つかがしら)に環状の装飾が施された太刀である。中央政権が地方の有力者に下賜した権威の象徴と考えられている。麓の道沿いにある説明板には、次のように記されている。
迫山古墳群
神辺町大字湯野迫山
広島県指定史跡
標高八十四mの丘陵南斜面に位置する当古墳群は、横穴式石室をもつ古墳を中心に箱式石棺二基を含む計十一基から構成されています。一九八三年に発掘調査が行われた第一号古墳は、直径十九m、高さ五mの円墳で、全長十一・六に及び県内最大級の横穴式石室を有しています。石室からは副葬品として環頭太刀・直刀・鉄鏃などの武器類をはじめ、馬具や装身具(耳環・玉類)、土器(須恵器・土師器)が出土した。なかでも環頭太刀は鞘と柄に金銅製の金具を、柄頭に鳳凰を具象した環頭を装着したもので、大和政権が地方へ進出する過程で各地の豪族に政治的、軍事的シンボルとして分与したものと考えられています。この古墳は六世紀末頃に造られたと推定され、大和政権の地方支配と密接に係わった豪族の墳墓として、当地方の古代社会を考える上で極めて貴重な文化財といえます。
一九八五年三月
湯野迫山古墳群保存会
神辺郷土史研究会
二〇一九年度湯田学区まちづくり推進委員会
ただし、この地域の豪族が、神辺平野で最有力だったかどうかは分からない。この平野の西部にある県指定史跡の大迫古墳は県内屈指の巨大石室墳の一つであり、国指定史跡の二子塚古墳からは双龍環頭柄頭が見つかっている。駅家町と神辺町に両雄が並び立っていたのか。
平野西部の駅家町域は旧芦品郡、その昔は品治郡、古代は吉備品治国であったという。平野東部の神辺町域は旧深安郡、その昔は安那郡、古代は吉備穴国であったという。ということは両雄はそれぞれ勢力圏を有していたことになる。ここ迫山第1号古墳は吉備穴国の首長だったことになろうか。