東京都国分寺市には武蔵国分寺跡がある。栃木県下都賀郡国分寺町は合併で消滅したが、ここには下野国分寺跡がある。香川県綾歌郡国分寺町も同じく今はないが、讃岐国分寺跡がある。自治体名となるくらいだから、地域のシンボルとしての役割は大きい。
東広島市西条町吉行に「史跡安芸国分寺跡(塔跡)」がある。寺名を引き継ぐ真言宗御室派の国分寺の近くにある。
東広島市教育委員会が設置した説明板を読んでみよう。
安芸国分寺は、奈良時代、天平13(741)年2月に聖武天皇の詔によって、60余国に建立された国立寺院の一つです。このうち塔は、聖武天皇が写経した「金光明最勝王経」を納めた建物です。
昭和7(1932)年に、聖武天皇の玉歯を埋めたと伝えられてきた塚の発掘調査を実施したところ、礎石などが見つかったことから、これが塔跡であることが明らかとなりました。礎石は、塔の心柱を立てる心礎を中心に、その周りには屋根を支える四天柱の礎石が4個並んでいます。また、最も外側には、壁を支える柱の礎石が12個並んでいます。礎石の一部は、調査前に移動されていたため、推定位置に復元しています。また、礎石の上面が熱で赤く変色していたことから、この塔は火災によって倒壊したものと考えられています。
聖武天皇の歯を埋めるなんぞ、もったいなくも畏れ多い。実際に調査をしてみると玉歯ではなく礎石が見つかり、塚ではなく塔跡だと明らかになったのだから、考古学には伝説を史実に変える力がある。ところが近年、聖武天皇の可能性が高い歯が見つかったというから、単に伝説では済まされない。
2011年10月5日の読売新聞は、明治時代に聖武天皇の遺愛品と一緒に出土した人の歯(右下あごの第1大臼歯、長さ約2センチ、幅1・2センチ)が、熟年男性のものとみられ、50歳代半ばで亡くなった聖武天皇の歯である可能性も指摘されていることを報道した。出土は1907~08年の大仏殿修理に伴うもので、今回調査したのは奈良国立博物館である。
ということは、「聖武天皇の玉歯を埋めた」との言い伝えは、どこから発生したのかが気になるところだ。まさか全国の国分寺に埋めることはないだろう。聖武天皇だけでは歯が不足することとなる。では、安芸国が重要視されていたということか。だが、延喜式によると第2ランクの「上国」であり、特別な地域とは言えない。
それでも安芸西条は全国でもトップクラスの酒都である。酔人にとってこれほど特別な地域はあるまい。安芸国分寺の塔はとうの昔に失われているが、銘酒の蔵元を象徴する塔は今も健在である。