これまでに観た数少ないテレビドラマのうち、今も記憶に留まる作品がある。吉永小百合さん主演の『夢千代日記』だ。いや松田優作さんが出ていたから、正確に言うと『新夢千代日記』だった。夢千代が読む日記の一節、余情に満ちた前田純孝の歌、山陰の温泉町と余部の鉄橋。報われないながらも懸命に生きる人々を描いた名作である。
昭和59年1月から3月にかけての放映だから随分と昔のことになる。時々思い出してはいたが、行く機会を捉えられずにこの歳になってしまった。それでもと思い一昨年の夏、夢千代さんに会うため湯村温泉に向かった。コロナ禍など知るよしもない平和な夏であった。
兵庫県美方郡新温泉町湯の八幡神社境内に「夢千代日記歌碑」がある。
訪れたのは木陰が心地よい時季だったが、今頃は湯けむりが恋しくなるほど冷え込んでいるだろう。『夢千代日記』は名脚本家早坂暁さんの代表作の一つである。歌碑に刻まれた「昭和五十六年冬」は、新でも続でもない最初の『夢千代日記』が放映された頃だ。説明板を読んでみよう。
「夢千代日記」歌碑
“雪深い土地(ここ)に優しい人いて ひそかに一重の夢を織っている”
この歌は、夢千代日記の原作者早坂暁氏が夢千代日記の舞台となった当地に思いを寄せて贈られたものです。
夢千代日記
湯村温泉の冬空は、どんよりと曇り雪が舞い、湯の町は一面の雪化粧となる。
被爆二世として白血病とたたかいながら湯の里“湯村温泉”で芸者置屋を経営する夢千代にとって、つらくながい冬である。
しかし、荒湯の湯けむりと町で出合う人々の人情が彼女の心を温めてくれる。
雪どけとともに桜の花が咲き夢千代の待つ春が訪れる。
そんな夢千代も、愛する人のぬくもりを感じ、湯の里の温い人情に見まもられ、夜桜の吹雪に舞いながら薄幸な生涯をとじるのである。
湯村温泉観光協会
最初の『夢千代日記』をビデオで観たのは、けっこう最近のこと。夢千代さんの踊る貝殻節が印象的だった。山根酒造場の「日置桜 貝殻節カップ」は知っていたが、『夢千代日記』とは結びついていなかったので新鮮だった。
春来川のほとりに「夢千代像」がある。
「祈恒久平和」との文字が刻まれている。夢千代さんは胎内被曝で白血病を発症し、あと3年の命と宣告されているという設定である。説明板には、次のように記されている。
夢千代像
昭和六十年四月五日、平和の願いをこめて建立し、その後昭和六十年十一月二十八日広島市より旧庁舎前の敷石を夢千代像の台座石として寄贈いただきました。平和の箱に寄せられた浄財は每年八月六日の平和記念日に広島市にお贈りしております。
湯村温泉観光協会
夢千代さんが湯村温泉と広島市とをつないでくれた。このたび広島市長は核兵器禁止条約の締約国会議に出席する意向を表明した。政府は核兵器保有国の支持が得られていないとして、条約を締結しようとしない。唯一の被爆国として保有国と非保有国とを結びつける発言力があるにもかかわらずだ。
被爆者の平均年齢は83歳を超えたという。夢千代さんも存命であれば後期高齢者となったはずだ。歳月が過ぎゆくにつれ、絶対平和を希求する思いが薄らぐような気がする。災害も戦争も忘れた頃にやって来るのだ。被爆という未曽有の体験をし差別や発病の恐怖と戦いながら懸命に生きた被爆者の姿を、私たちは語り継いでゆかねばならない。