うなぎのおいしい季節である。最近は中国産や台湾産も頑張っているようだが,やはり国産のうなぎにはかなわない。天然モノならなおさら美味しいらしいが,私には縁がない。今日は,天然うなぎの中でも絶品と呼ばれる「青江のアオ」青うなぎゆかりの地を訪ねたい。
岡山市北区青江4丁目の青江公会堂に「青江うなぎ発祥の地」という看板が掲げられている。
「青江うなぎ」は高級品として江戸時代後期には上方でよく知られていた。青うなぎの名は,この青江に由来するとか,うなぎの背中が青いからとか諸説あるようだ。
7月18日(土)に日テレ系列『満点☆青空レストラン』で児島湾産のうなぎ「青江のアオ」が高級食材として紹介されていた。これでますます“児島湾”あるいは“青江”はブランド力を高めることだろう。平成20年7月23日の山陽新聞は漁師の言葉を次のようにレポートしている。
「これはすごい色をしとる。久しぶりにええ“青”じゃ。」
「児島湾のウナギが認知されることはうれしい。自分が捕れる量は限られているが,多くの人においしさを味わってほしい。」
今,青江地区は海からかなり遠い。室町時代には海に面していたようだが,江戸期には新田開発で海から遠ざかってしまった。それでも青江が有名になったのは,漁業権を持っていたことやうなぎ問屋があったことによる。さらには,捕り方にもブランド力を高める工夫があった。普通はカキといって,うなぎを引っかけて捕っていたが,青江ではツカミといって,うなぎを両手でつかんでいた。そうすることによって,商品に傷を付けないようにしていたのだ。
その後,干拓や淡水化の事業によって児島湾はますます遠ざかり,青江の漁師の漁場は失われてしまった。しかし,この青江うなぎが日本一の評価を受けたことを後世に伝えるために,公会堂に看板が掲げられた。地元町内会が編集した『青江史』は次のように伝えている。
明治二十二年の夏のことである。その当時のうなぎ市場の中心とも言うべき,大阪中之島六丁目にあった大阪川魚株式会社の楼上で,名代うなぎの品評会があった。その時,いろいろ試食の結果が,宍道湖と備前青江とが最後までのこる事になった。名だたる通人,問屋,料理屋の主人達が審査員になってたのが,手をこまねいて,いずれとも決しかねたのである。しかし,遂に両者を厳密に検討した末,『味・脂の具合とも,双方互角,ただ風味の一点,備前青江が宍道湖に勝るものなり』との判定を下して,“日本第一味”の栄冠を“青江”が頂いた事がある,といわれている。
ここまで読むと「青江うなぎ」が食べたくなるのだが,喰わねど高楊枝で,青江うなぎ発祥の地を訪れよう。公会堂の青い柱が優しく貴殿を迎えてくれるだろう。