22か月である。これほど秀吉が苦戦した合戦はない。播磨・三木城の包囲戦である。守るは従四位下侍従別所小三郎長治二十三歳。両将ゆかりの地を訪ねてみよう。
三木市上の丸町の三木城址に「別所長治公像」が建立されている。三木市ライオンズクラブ結成40周年を記念したモニュメントで平成14年の制作である。
時は天正六年四月,秀吉から中国毛利攻めの先鋒を務めてくれるものと期待されていた別所長治だが,ついに毛利方に与することに決し,7500騎を従え三木城に籠城を始めた。一時は秀吉軍を散らすほどの勢いであった。
三木市に「三木合戦羽柴秀吉平井本陣跡」がある。この狭い場所は見張りの高台である。
天正六年六月,長期戦を覚悟した秀吉は,三木城に対峙する平井山に陣地を築く。この地で参謀の竹中半兵衛と共に策戦を練り,兵糧攻めによって攻略することとした。補給路を断つ秀吉方と密かに兵糧を運び入れる毛利方との攻防が続く。
三木城に戻ろう。本丸に「かんかん井戸」がある。石を投げ込むと「カンカン」と音がすることから名付けられたという。この井戸は,三木城唯一の遺構だという。長期間の籠城時,どれほど多くの人の渇きを癒したのであろうか。命の井戸であった。