天皇の率いる軍を皇軍という。皇軍がいつどこで組織されたかなんぞ,初期天皇の実在さえ定かでないのに明らかになるはずがない。しかし建国記念日のように,この日だと特定できると心地よい。今日は,日本軍誕生の地を訪れよう。
宮崎市下北方町に「皇宮屋(こぐや)」がある。
ここは神武東征以前の皇居だったという。宮崎神宮の摂社である皇宮神社は,玉砂利が掃き清められ静寂に包まれていた。宮崎市観光協会作成のパンフレット「宮崎の神話」を読もう。
幼少の時代を今の西諸県郡高原町あたりで過ごしたとされる神武天皇は,長じて宮崎へ移り,兄の五瀬命らとともに国家統一を思案しはじめることになる。その時にあった皇居跡が宮崎市平和台公園近くにある皇宮屋。
この地から天下を眺め渡した時,やはりどうもここは西へ寄りすぎているのではないかということになり,兵をまとめて美々津の港から東をめざした。いわゆる神武東征である。
神社の南に「皇軍発祥之地」と刻まれた石塔が建てられている。紀元二千六百年を奉祝するモニュメントである。古代の鉾にかたどられた枠内の刻字は杉山元陸軍大将の書である。そういえば九州は銅鉾文化圏に属する。さらに杉山大将も九州出身である。大東亜戦争開戦時の参謀総長が揮毫した「皇軍」はこの地で生まれ,アジア・太平洋の各地で散っていった。
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