高輪プリンスホテルから品川駅へ降りる坂道(さくら坂)は、桜や新緑の季節には泣けるくらい美しい。温かい緩やかな風にのって宙に舞った薄紅色の一片が濃紺スーツの袖に付く。葉桜になると木漏れ日がアスファルトで穏やかに揺れている。袖に付いた花びらを払ったとき、薄目にして木漏れ日を見上げたとき、日本に生まれてよかったとしみじみと感じたものだ。
港区高輪三丁目のグランドプリンスホテル高輪に貴賓館として使用されている「旧竹田宮邸」がある。さくら坂の上に位置する。写真を撮った頃はこの前をよく行き来していたのだが、あれからずいぶん行っていないのでホテル名が改称されたのを知らなかった。
この旧竹田宮邸は明治44年(1911)に竣工した。この格調の高さはどこから…と思えば、あの豪華な迎賓館(赤坂離宮)と同じ片山東熊の設計によるものだった。ネオ・バロックといってナポレオン3世好みの建築様式だそうだ。
小泉内閣の時に女系天皇について議論があった頃、旧竹田宮家は注目された。ノンフィクション作家の保坂正康氏は『文藝春秋』2005年3月号の「新宮家創設八人の『皇子候補』」で男系を維持する候補を紹介した。その8人のうち5人は旧竹田宮家であった。候補とされた一人竹田恒泰氏は『語られなかった皇族たちの真実』で、皇籍離脱後の様子について次のように書いている。
高輪の竹田宮邸にあった洋館は政府に貸し出され、商工大臣官邸として使用されたが、後に広大な敷地後と西武鉄道に売却され、高輪プリンスホテルとなった。当時の洋館は今も、ホテルの貴賓館として使用されている。
後年、ジャーナリストで作家の猪瀬直樹氏が竹田恒徳にインタビューした記事で、邸宅を西武に売ったのはどういう考えからですか、との問いに対し、恒徳は「持ちきれなかったということですよ。それに、西武は西洋館を潰さないで大切に使ってくれるといっておりましたから。跡形もなく消えちゃ淋しいけれど、実際、いまだに西洋館は残っていますからね。嬉しいことです」と答えた。
世に豪邸はいくつもあるが、歴史ある邸宅はそれほどない。赤プリは営業をこの3月末で終了し新館を取り壊すようだが旧館の旧李王家邸は保存されるようだ。西武の台所事情いかばかりかとお察しするところだが、プリンスホテルのブランド名とともに歴史的建造物の保持に努めていただけるとありがたい。