撮り鉄、乗り鉄など鉄道ファンにはさまざまな種類があるようだが、路面電車のファンというコアな一群がいるようだ。彼らのことを「面鉄」と仮称しておこう。
線路は線路、道路は道路と区別されているのが普通だ。電車は高架だったり地下だったり、歩行者や自動車と別世界を走っている。ところが、路面電車は人や車と同じ「面」を走行する。立ち位置が同じなのである。
しかも速くない。それゆえ、スローフードだとかスローライフなどのゆったりまったり文化の一部と見なされるようになり、エコな乗り物のイメージが定着している。
堺市に「阪堺(はんかい)電気軌道」という路面電車が走っている。撮影場所は花田口停留場付近である。
路面電車のことを「チンチン電車」という。阪堺電車では略して「チン電」ともいう。御陵前停留所の近くに、もなかが有名な南曜堂というお菓子屋さんがある。看板商品「ちんちん電車もなか」(略すと「ちん電もなか」)をお土産に買って帰った。粒あんとお餅の絶妙なハーモニーで美味しい。
上の写真はモ351形電車である。「モ」とはモーター付きの車両を意味する。同形の電車は現在5両あるが、このうち写真の351号は昭和37年に、地元の鉄道車両メーカー、帝国車輌が製造した。
昭和を感じる車両もあるが、「堺トラム」というヨーロピアンスタイルのおしゃれな電車も走っている。いずれの車両でも、ICカードでピッと支払できる。しかも210円の均一運賃。分かりやすい。
さて、未来に向かって走り続けているかのようなチン電だが、過去にはずいぶんと厳しい時代があった。昭和46年発行の『堺歴史散歩』(創元社)には、「阪堺線 やがて姿を消す? チンチン電車」と題して、次のように記述されている。
ガタンゴトン車体を横ぷりしながら走り続けた阪堺線の〝チンチン電車〟もスピード時代の要請には、こたえられなかった。市電まがいに市街地を走っていることが禍いして、スピードアップできず、遠距離客は南海本線や高野線に移り、パスにも奪われた。昭和二年上半期の一千八百三十三万人をピークに、斜陽の一途をたどり、二十年二月に大浜北町―大浜海岸間、二十四年三月に宿院―大浜北町間が廃線となり、本線も朝夕のラッシュ時を除いては、乗客も閑散だ。南海本社広報課の話では、堺市からも〝電車の運行が、交通のネックになる〟と廃線の要請が出ているし、南海としても併行した南海本線と高野線があるので、阪堺線を地下鉄や高架化で近代的にする意図は全くなく、むしろ、廃線の方向へ傾むいているという。阪堺線もやがて時代の波に押し消される運命にあるようだ。
堺市が迷惑がっているような書き振りだが、当時はそうだったのだろう。昭和40年代は自動車の保有台数が増加する一方、路面電車は次から次へと廃止されていった。モータリゼーションの流れにおいて、同じ「面」を走る路面電車は邪魔者扱いされていた。
ところが今や堺市は、高齢者の利便性や環境負荷の低減などの観点から、阪堺電車存続のために積極的な支援を行っている。具体的には、運賃290円となる区間でも210円の均一運賃とするものである。時代は変わった。厳しい時代をくぐり抜けてきたから今があるのだ。
しかし、阪堺電車を愛する「面鉄」の方には悲報が待っている。平成28年1月30日の運行を最後に住吉公園~住吉の区聞が廃止される。特に住吉公園停留所は、平日朝の8時24分に発車する天王寺駅前行きが最終電車の「日本一終電の早い駅」である。また、平日は5本しか電車が来ないことから「都会の秘境駅」として知られている。
利便性が向上する一方で、「日本一」の看板を失うこととなる。生き抜くためには、何かを捨てなければならないのだろう。「面鉄」の人々は大切なことを学んでいるようだ。