棚田ファンが全国にたくさんいることは知っている。美しい景観や棚田米をアピールして地域活性化に貢献している。同じ田んぼでも条里制のファンやマニアは聞いたことがない。歴史なら条里制のほうが古いのに。
問題は景観だろう。棚田の景観は論を俟たないが、条里制の田は近代の圃場整備によって造成された田に似ている。このため見慣れた風景としか思えないのではないか。どちらも方形の区画だが、条里制が1辺109mの方格なのに対し、近代の田は農業機械が効率よく稼働できるよう長方形になっている。
本日は先進的な土地区画制度、条里制の遺物があるというので、にわか条里マニアとなってレポートすることにしよう。
赤磐市東窪田に「縄目石」がある。
見た目には、普通の石が舗装道路に固められているだけのことだ。傾いた説明板を読んでみよう。
赤磐市指定文化財 縄目石
東窪田
古代に始まった土地区画制度、条里制の施行にあたり、地割の基準として置かれた石と伝えられる。現在は上部しか見ることができないが、もとは高さ約六〇センチ、底幅約五〇センチで三メートルほど東にあった。
赤坂地域南部は条里制地割が残る地域であり、現在の溝・畔・道のほか、「八が坪」「縄の內」「八反田」などの小字名として残っている。
昭和五十四年十二月指定 赤磐市教育委員会
今で言えば三角点のように基準となるポイントであった。とはいえ、棚田のようにぱっと見で形状が分かるわけではない。そこで、ここに来るまでの道を思い出してみよう。東窪田地内を県道27号岡山吉井線が南北に貫いている。南から来た私は写真に写る道に入るために東窪田交差点で左折したが、直角にではなく斜めに進んだ。
そういえば、このあたりは県道と斜めに交差する道が多いようだ。地理院地図を見ると、南北軸から45度くらい傾いた格子状の区画が確認できる。この方格地割が条里制の遺構である。
近くには大規模な住宅団地があるが、古来の地割のままの水田はたくさん残っている。まもなく稲の緑は黄金色へと変わり、穂が頭を垂れることだろう。このような実りの秋を千数百回繰り返したこの地の米は、条里の歴史に育まれたという付加価値を持つ。「条里米」である。
いや、そんな呼び方は誰もしていないし、赤磐産のコメは能書きがなくとも十分美味しい。ご飯なら昔から有名な朝日、食味ランキング特Aのきぬむすめ、お酒なら天下の雄町が有名だ。私はただ、食事をいただく際に「条里制」を少し思い出せば、味わいが深くなるのではと言いたかっただけである。