天竜川には現在、2つの川下りが運航されている。「天竜舟下り」と「天龍ライン下り」である。どちらも長野県飯田市の天龍峡の人気の舟遊びである。
かつて下流の静岡県側にも天竜下りがあった。平成23年8月17日に事故があり、平成24年3月31日をもって廃止された。本日は私が乗船した平成20年8月の写真でレポートする。
浜松市天竜区米沢に「遠州天竜舟下り」の乗船場があった。ここ米沢から二俣までの6.2kmの航路である。
もらったパンフレットに天竜下りの歴史が書かれていて興味深い。
貴重な水運として、江戸時代から利用されてきた天竜川。一九一二(大正元)年、イギリスのコンノート殿下と朝香宮殿下が、長野県の飯田から西鹿島までの間を舟で下られました。観光としての舟下りはこれが最初だと言われています。
その後、数回にわたり皇族や文人らが天竜舟下りをされました。一般的な観光としての舟下りは、一九四八(昭和二十三)年、二俣町観光協会が民間委託で業務を開始。これが、現在の遠州天竜舟下りの起源となっています。
コンノート殿下とは、ヴィクトリア女王の三男、コノート公アーサー殿下のことである。4回の来日歴のある親日家で、1912年は明治天皇の大葬に参列するための訪日であった。大葬は9月13日、舟下りを体験されたのが9月21日、同乗したのは朝香宮鳩彦(やすひこ)王である。
舟を降りた西鹿島は二俣の対岸である。地図でたどると驚くが、日英の両殿下はかなり長い距離を舟で下っている。現在はダムがあって同じ体験は不可能だが、その最後部が遠州天竜舟下りの航路と重なっている。
民謡「伊那節」に「天竜下ればしぶきに濡れる 持たせやりたや檜笠(ひのきがさ)」という歌詞がある。大正5年に伊那風景探勝会による公募で採用された。市丸姐さんは「しぶきがかかる」と歌っている。写真の笠は竹でできている。
確かに、飛沫がかかりそうな激流もあれば、穏やかな流れもあった。見事な櫂さばきとエンジン操作で、流れの迫力を間近で感じることができた。だが、スリルが楽しめるのも安全が確保された上でのことだ。事故は二度とあってはならない。