デキる感じの若者との会話で、話題が卒論のことになった。「テーマ、何?」「石田梅岩(いしだばいがん)です。」「ん!なんか習った気がする…あの、心学の…」「はい、石門心学(せきもんしんがく)とも言います。」「ほー、ほー、すげー、すげー!」感嘆はしたものの、これ以上、つっ込んだ話ができない。
おぬし、なかなかやりおるな。俺も「石門」なら知っとるわい、とは言わなかったが、私が知っているのはコレである。
備前市閑谷に国の特別史跡「旧閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」のうち「石門」がある。
庶民のための日本最古の学校として知られる旧閑谷学校は、栄えある日本遺産第1号に認定されている。そして、これに満足することなく世界遺産を目指しているのだからアグレッシブである。そんな閑谷学校に学ぶ子どもたちが通ったのが、この石の門であった。
橋の擬宝珠のような石柱が二本立っている。実は元禄十年(1697)の建立当時は、3.8mの高さだったという。その後の道路改修により埋め立てられ、今、地上に出ているのは3分の1に過ぎない。説明板には次のように記されている。
閑谷学校で学んでいた生徒は、服装を正してこの門を通ったといわれている。
ここから学校まではまだ1キロほどあるが、門の内側は学校の敷地なのであった。今のように校門で「おはよう」と声掛けをする先生がいたわけでなく、生徒自ら襟を正して学校に入ったのだ。野球部がグラウンドに出入りする際に一礼しているのも、同じような思いなのであろう。
石門を通った子どもたちが閑谷学校で四書五経を学んでいた頃、上方の町人は石門心学を学んでいた。それは「正直 倹約 勤勉」「先も立ち、我も立つ」など、現代企業も傾聴すべき倫理学である。閑谷学校が学校教育の始まりなら、石門心学は社会教育の始まりである。石門を通り、石門に学んだ者たちは、社会の発展に大いに寄与することとなる。